mmm.txt

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%g14
%g00




Newt/Palm/Zau Heart 5th Album
 "My sister is Mermaid with MEGANE!"







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『ねえ、人魚って、本当にいるの？』

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%b1
『ん？そりゃあ居るに決まってるさ。
父さんが、いつか絶対、見つけて来てやるからな』



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　僕が５歳位の頃、よく交わされた会話だったと思う。
　物心ついた時、僕の家は、父と僕の二人きりだった。父は自称冒険家の海洋学者で、僕を祖父母の家に預けて家を空けることが多かったけれど、帰ってきた時には一遍にまとめて、遊び、笑い、駆けずり回って過ごしたものだった。
　そしてそんなときには、必ずといってよいほど、父から人魚の話を聞かされた。
%n


『はじめまして、真樹くん、よろしくね』
%w

『…あ…よろしく…お願いします…』



%w
　それから何年か経って、僕に母親ができた。
　９歳の頃だ。
　母親と言うものを知らずに育った僕が夢想していた、理想の母親像が、そのまま、自分の目の前で微笑んでいて、僕はそのとき、上手く自分を演じることが出来なかった。


%w
『よろしくねっ』

『……』

%n


そして
%w
　これから僕の母親になる女性の陰から現れた、女の子。僕よりひとつ年上の、姉さんになると聞かされた彼女が、僕に向かってにっこりと、微笑んだ。大きな丸眼鏡の奥の瞳を、真っ直ぐに向けて、少し、首を傾げて。
僕は、繕いかけた言葉を失った。
%w

それが、僕の初恋だった。
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そして
%w


そして


%n


僕の母と姉になる人は、人ではなくて…
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%g01

%f20
…人魚だったんだ…
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Newt/Palm/Zau Heart 5th Album

～My sister is Mermaid with MEGANE!～

　　　　　1999 だって、好きなんだもん
　　　　　1999 BiTmap Publishing





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「…ふわぁぁ～～っ」

　だらしのない欠伸をひとつついて、半開きの目を擦ると、寝息で曇った車窓の先の景色が、変わっていた。
　パーマネントグリーンの絨毯を切り裂いて、走り抜ける列車。
　やがて水田の切れ目切れ目に大小の建物が見え始めて、その幾つかが見知ったものであることに気付いたとき、俺は漸く腕時計を覗き込んだ。

「次の停車駅は…」

　車内アナウンスが故郷の駅名を繰り返したのは、そのすぐ後だった。
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　プラットホームに降り立つと、むんと蒸しかえす熱気と真夏の陽射し、そしてがなりたてる蝉の音が容赦無く襲ってきた。
　静かにすうっと息を吸い込む。微かに潮の香りを添えた、草の匂い。１年半ぶりの故郷の風は、全然変わっていなかった。
　当座の衣服を突っ込んだだけのバックを肩にかけて、歩き出す。階段の先、降車ホームと反対側の改札へ向かって。


　駅構内の窓から改札へ射し込む陽の光に、帰郷者を迎える人々の姿が浮かぶ。俺は、そんな再会の言葉を交わす彼等をやり過ごして、改札を抜けた。
　今日この駅に、俺を迎える人はいない。そのままタクシーでも拾って生家に向か…
%n


「おかえりなさい、まーくん」



%w
　大きな鼓動が、体全体を駆け抜けた。
　数歩先をなぞっていた視線を上げると、肩口で切り揃えた黒髪を艶やかに揺らした女性が、にっこり笑って立っている。
　大きな丸眼鏡越しに覗く柔和な眼差しが、俺の呆気に取られた目を捉えた。


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「た…ただいま…ねーさん」
%n

…
…
「なんだよ、迎えに来れるんだったら、電話してくれればいいじゃないか」
「ふふっ、驚いた？」
　家へ向かうタクシーの中で、姉さん…美潮姉さんは悪戯っぽく笑った。
「ちょっと、予定が変わっちゃって…この前言ってた、ゼミの旅行、キャンセルになっちゃったから、それで、ね」
「ふうん…」
　車の外を流れる見慣れた町並みが、所々歯抜けになったり、新しい色に塗り替えられていることに、気付く。この町も、全く変わらない様でいて、確かに、１年と半年の時間が流れていた。
　去年はコンビニのバイトやってたり、免許取りに教習所通ってたりで、結局１回も帰れなかった。だから今年の夏は短期バイトをちょこちょことこなしながら、適当に遊ぶ算段を立てたのだった。とは言っても８月の半ばからは新しいバイトが入っているから、実家でブラブラできるのは一週間だけなんだけれど。
「でもやっぱ、故郷ってのはいいよね、なんとなく安心するっていうか」
「ほんと、私も安心した」
俺が何の気なしに話し掛けると、姉さんはしみじみと、噛み締めるように返した。
「だって私、一人暮らしなんかしたことないでしょう？一週間も一人なんて心配で…本当、まーくんが帰ってきてくれてよかった…」
%n



「………へ？」



　俺は父も母もいない実家の居間で、二通の手紙を手渡された。
『真樹、元気にしてるか。……中略……さて、ここ暫く休み無しで仕事してたこともあって、一週間程まとまった休みが取れた。というわけで、久しぶりに母さんと二人きりで旅行に出ることにした。美潮を残して行くのはどうかとも思ったが、お前が帰ってくるらしいので安心した。まあ、こっちはこっちで楽しんで来るから、そっちはそっちでよろしくやっててくれ。たまには連絡も入れるつもりだ。　父より』
『真樹へ、一人暮らしももう慣れた？……中略……父さんと二人だけで旅行なんか行っちゃって、ゴメンね。でも、うるさい父さん母さんがいるより、美潮と二人きりの方がいいでしょ。一週間は絶対に帰らない予定です。応援してるから、がんばってね、真樹。　母さんより』
%n

…なんだかなー。
　第一、何をよろしくやってがんばるんだよ、おい。…まあ、留守中の家事は姉さんが任せてって言ってるから、俺のやることと言えば力仕事と姉さんの手伝い位だろうけど。…それはそうとして変に意識させるよーな事を…

「なんて書いてあった？」
「！！」
　姉さんが背中越しにいきなり覗き込んできた。
「あっ、なんでもないなんでもない、一週間旅行で家開けるから、しっかりやれって…それだけだって」
　俺は慌てて手紙を折りたたんで、封筒に突っ込んだ。
「ふうん、私とまーくん宛てに別々の手紙だったから、何か変わったこと書いてあるのかなー、って思ったんだけど」
…この封筒、姉さん開けてないよな。
俺は破った封筒をもう一度見返した。
%n
%t999
「ふぅ」
「まーくん、もういいの？」
「うん、これ以上食えないって。俺、もともとそんな大食いじゃないし」
「そーだね、じゃあ残りはとっとくから」
「ごちそーさま」
帰郷初日の晩。
　俺がこころもち張った腹をさすってテーブルをたつと、かちゃかちゃと後片付けをする音に混じって、姉さんの声が聞こえた。
「ねえ、お風呂沸いてるよ、入っちゃえば？」
%n
さて、俺は
%s0,お風呂に入る,100
%s1,疲れてるのでもう寝る,101
%js1
%t100
「うん、そーする」
　俺はそのまま、風呂場へ向かった。洗濯籠に上着も下着もいっしょくたに放り込んで、いきなり湯船に浸かる。姉さん好みの湯加減だな、ちょっと温い。
「はあ～～」
　長旅…って言うほどでもないか…の疲れをお湯に流しつつ、俺は今までのことをぼんやりと考えた。
%n
　７歳だか８歳の頃だったよな、確か、小学校には入ってた筈だったと思う。父さんの所属する海洋研のプロジェクトチームが人魚の集落を発見して、世界中を驚嘆させた。なんせ、リンネ以降の分類学に基づくテキストを根こそぎ書き直させるだけの発見だったから。
　それから間もなく人魚と各国との国交が始まった。人魚っていっても、生物学的にはホモ・サピエンスの亜種に近いそうで、膝下からがイルカとかアシカのようにヒレ状にくっついていることと、心肺機能が俺達の何倍も発達していること以外は陸上の人間と殆ど差異はなかったから、当初問題とされた人権問題等々は杞憂に終ったようだ…それも、知らぬは陸上ばかりなりで、海の下からこっちの状況はつぶさに観察されていたらしくて。
　とはいうものの、父さんが澪母さんと再婚した頃は、都心以外の街中で人魚の姿が見られることは希だったから、俺の家族もかなり奇異の目で見られたことは確かだった。事実、小学校を卒業するまでは、そのことが原因で何度ケンカしたことか知れない。
　でも、中学くらいからか、そんなことも無くなったような気がする。人魚…って言うと差別用語とか言われそうだけど…が単なる「外国人」の類と認知されてきたこともあるけれど、やっぱり、綺麗だからなんだよな、姉さん。
　まあ、姉さんに限らず、巷の人魚の方々は押し並べて美形が多い。すれ違いざまに思わず振り返ってしまう時の殆どが人魚だったりする。その点は千年以上続く人魚伝説の数少ない正確なところだと思う。
%n
　…って、ボーッと考えてたら、のぼせそうになっちゃったよ。そろそろ上がろう…
　俺は、適当に体を洗って風呂を出た。
あれ、バスタオルと下着と寝間着が出てる。うーん、気が利くというか、まめというか、結婚したらいい主婦になるよな、姉さん。
「ねーさーん、風呂あがったからー」
「はーい」
　階段を昇りざま姉さんに一言告げて、俺は１０時前とまだ早い時間ながら今日のところは寝ることにした。
　さて、明日からどうしようかな…
%n
%jt102
%t101
「なんか疲れちゃったな、今日はもう寝ちゃおうかな」
「そう？まーくんの部屋、ベッドつくっといたから、おやすみね」
「うん、おやすみー」
　俺が二階に上がると、フワフワのベッドの上に、高校卒業まで着ていた寝間着が畳んであった。ああっ、万年床＆パンツ一丁寝に慣れてしまった我が身には勿体無い…
　俺は姉さんに感謝しつつ眠りについた。
さて、明日からどうしようかな…
%n
%t102
「…む…」
　目を覚ましたら、アラームをセットしてない目覚しは１１時を差していた。
「あれ」
　そーいえば既に暑苦しいぞ。俺はとりあえずＴシャツとトランクスだけ着替えて階段を下りた。
「おはよう、まーくん」
「おはよー」
　昨日の残り物＋αの朝食はもうテーブルに並べられていた。ちょっと寝過ぎてだるい頭をぶんぶん振って、椅子に座る。ああ、味噌汁の良い匂い。
%n
「ねえまーくん、今日予定入れてないでしょ？ちょっとつきあってほしーんだけどなー」
「ん？」
　鮭の切り身を頬張る俺を覗き込むように、テーブルの向かいでお茶を煎れている姉さんが尋ねた。

さて、俺は…
%s0,「いいよ、どうせ暇だし」,110
%s1,「えー、面倒くさいなー」,111
%js1
%t110
「いいよ、どうせ暇だし」
　俺は口をもごもごさせながら答えた。
「ありがと、まーくん」
　銀縁の丸眼鏡の奥で瞳をきらきらさせる姉さん。弱いなぁ、俺。まあ、確かに家にいてもつまらないから、散歩がてら姉さんと出歩くのも悪くないけど。
　そうと決まれば、と、俺は残りのおかずを掻き込んだ。
%n
%jt112
%t111
「えー、面倒くさいなー」
　起きたばかりで体もだるいので、俺はちょっと尻込みがちに答えた。
「…そう…」
　姉さんの表情が俄かに曇る。小さな白磁の湯飲みに目を落として、残念そうに呟く。
「あー、行く行く、連れてってください、ねーさん」
　俺がその顔に弱いこと知ってるくせに…まったくズルイな、姉さん。
「あ、そう？ありがと、まーくん」
　ほら、もう笑った。いつもこの手にハメられるんだよなー、昔っから。
まあ…こっちの笑顔にも弱いんだけど…
%n
%t112
　姉さんと俺は商店街に出た。２０分程歩けば着くような場所だけれど、人魚の姉さんや母さんにはちょっと歩くのがきついので、一緒のときは大抵車だ。今日は母さんのセルボを拝借して街中のコイン駐車場に停めた。俺の免許が早速役に立ったな。

「まーくん、ここも寄ってっていい？」
「……はい…」
　あのー、今スーパーで一週間分の買い出ししたばっかりなんだけど。両手塞がってて重いんだけど。
　姉さんはそんな俺そっちのけで、くっついた足でぴょこぴょこ器用に跳ねていく。あ、「シロフジ」の前で止まった。ここのチョコレートケーキは昔から俺の好物だ。ひょっとして…
　漸く追いついて、外から菓子パンの並ぶウインドウ越しに覗き込むと、店のおばさんと姉さんが話し込んでいた。２、３分して、姉さんはビニール袋を抱えて出てきた。
%n
「まーくん、ここのケーキ好きだったでしょ？後で食べようね」
　ううっ、覚えててくれたんだ、なんだか嬉しいなあ。
「じゃ、これも持って」
屈託の無い笑顔で紙袋を手渡す姉さん。
「……はい…」
　…結局そうなるのね…
%n
…
　さて、もう買っとくものも無いよな。そろそろ車に戻ろうか、重いし。…って、また止まってるよ、姉さん。
　遠目に見ると、姉さんの立ち止まっている先は、商店街の端っこにこじんまり建つブティックだった。
「なんか買ってくの？ねーさん」
「ううん、何でもない。さ、行こう」
　俺が追いついて尋ねると、姉さんは避けるようにして、ショーウインドウを離れて言った。俺は姉さんを追いかけながら、振り向きざまにウインドウを覗き込む。
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（…水着？）

%w
　先刻姉さんが立っていた辺りに、「夏物Sale!」とカードの付けられた、青い水着が飾ってあったように…見えた。
　あっ、やばっ、後ろ向いてる間に姉さんどんどん行っちゃってるよ。
　俺は、小走りに姉さんを追いかけた。スーパーで買った玉子が割れないように、手元に神経を集中して。
%n

「あーっ、真樹先輩！」

　漸く姉さんの背後に駆け寄った俺の更に後ろの方で、女の子の呼びかける声が聞こえた。俺に女の子の知り合い…しかも先輩って、まさか。
　二人揃って振り向くと、そこには…
%w
%g02
「先輩っ、いつ帰ってたんですか！
ほんっと、お久しぶりです！」
「…渡良瀬…」
　ふっくらとした、長いポニーテールを揺らして駆けてきた彼女は、渡良瀬計、俺の数少ない見知った女の子だ。
「…？」
「あ、先輩のお姉さんですね。お会いするのは初めてですよね。私、真樹先輩のバスケ部の後輩で、渡良瀬計っていいます」
　姉さんの怪訝そうな面持ちを察したのか、渡良瀬はまだ弾ませた息のままで、自分から話し掛けた。
「あ、あなたが渡良瀬さんね。はじめまして。真樹がお世話になってます」
　姉さんもどうやら合点が行ったようだ。まあ、電話口では何度も話しをしたことのある二人だからな。俺は、一瞬流れた冷ややかな空気が去ってゆくのに、ほっと胸を撫で下ろした。
%n
「真樹先輩、１年以上も帰ってきてないで、何してたんですかー」
「悪ぃ悪ぃ、ついつい、な」
　渡良瀬は俺達が買物帰りだってことを気にも掛けないで言葉を投げてくる。
%w
さて、俺は…
%s0,とりあえず帰らなきゃ,120
%s1,ついつい話し込む,121
%js1
%n
%t120
あれ。
…さっきまで俺の傍らにいた姉さんの気配がない。
あ、あんなとこまで行っちゃってる。
あ、振り向いた。
…視線が痛い。怒ってるな、ありゃ。
%n

「なあ渡良瀬」
「どうしました？」
「俺さあ、いま買物帰りですっげー重いんだけど…だから積もる話はまた今度ってことで、さ」
　姉さんの機嫌はともかく、これだけの荷物を持っての立ち話は体力的にもキツイしちょっと恥ずかしいぞ。ってことで、ここはやんわりと渡良瀬を制止した。
%n
%jt122
%t121
「そーか、卒業してから１年半だしな、あれからもう２年になるんだよな」
「真樹先輩、まだバスケ、続けてるんですか？」
「サークルだけどな。体が鈍らない程度に、さ」
　実に久しぶりの予期せぬ出会いに、俺はついつい、話し込んでしまった。高校バスケ部の思い出や今の生活についての話を、彼女と交わし合っているうちに、当時の記憶がありありと浮かんできた。
　渡良瀬は俺のひとつ後輩で、３年少し前、まったく彩りのなかったバスケ部に、マネージャーとして飛び込んで来た。
%n
『渡良瀬です、よろしくお願いしますっ』

　その頃俺は「女子マネ」ってやつはちゃらちゃらしてるだけで使い物にならない、と入部に反対していた。が、俺のその予想に反して、渡良瀬は実によく働いていた。中学の頃バスケをやっていたということもあって用具の管理といったプレイヤーにしか解らないことにもよく気がついたし、試合や練習の記録も全く問題なかった。
%n
　俺は懐かしそうに話し込む渡良瀬の顔をちらり、と覗いた。つり目がちの、一見きつそうな顔立ちが笑顔にほころぶ。俺達には勿体無いくらいの可愛い子ってのは、今も昔も変わらない。その評判の女子マネがいつもベンチで応援してる訳だから、張り切らない部員はいなかった。
　いつも明るくて、元気で…あ、そういえば一つだけ困ったところがあった。

『今日の作戦は…』
『はいはい』
『がんばってね』
『あーっ、ひどーいっ、また馬鹿にして』
%n
　顧問はいてもコーチとか監督とかがいない俺達のチームにあって、自称「策士」の彼女は事ある毎に奇策？を伝授してくれたのだけれど…一回も上手くいった試しがなかった。だって「計ちゃんが審判の目を引き付けてる間にマークの選手にヒジを」とかいった、マトモな作戦じゃないんだもんなー。まあ、それなりに試合の緊張も解けて毎回楽しめたけど。

%w
「先輩、どーかしたんですか？」
　思わずニヤニヤした顔を見せてしまった俺に、渡良瀬が問い掛ける。
「いや、策士さんのことを思い出してさ」
「あーっ、ひどーいっ」
　彼女は、あの頃のままの表情で拗ねて見せて、そして笑った。
%n
…
…
「あ、しまった、俺買物の途中だったんだ。姉さん待たせてるから、悪いな」
　これ以上姉さん待たせると、マジで機嫌を損ねかねないので、俺はそろそろ話を切り上げることにした。
%n
%t122
「あ、そーいえばそうでしたね。ごめんなさいお邪魔しちゃて、じゃあ、また今度」
「ああ、またな」
　俺は小走りで商店街を後にした。
「あーっ、真樹先輩！」
「あーっ、何だよ？」
　離れ際に渡良瀬の大声が聞こえた。
「先輩、何時までこっちにいるんですかー？」
「あー、一週間ってとこだなーっ」

…
…
「ふうん、一週間ね…、ふうん…」

　渡良瀬の不敵な笑みは、俺には見えなかった。
%n
「………」
「ねー、ねーさん、ねーさんってばさ」
「……むー」
　セルボのハンドルを握りながらちらりと姉さんを見遣る。あー、解り易いふくれかただこと。すっかりご機嫌ナナメだよ、こりゃ。
「だって、バスケ部の仲間に会うのって、ホント、久しぶりだったしさー」
　姉さんも大人げないなー、とは思いつつもついつい言い訳なんかする俺。ちょっと情けないかも。
「……むーむー」
「ねー、ゴメン悪かったから、許してよ」
「……」
「……」
%n
「……お祭り」
「へ？」
「６日からのお祭、付き合ってくれたら
許したげるよ、まーくん」
　…お祭？
あ、そーいえば、と、俺は思い出した。俺の帰省って、ちょうど祭と日程が合ってたんだ。
　この街では毎年夏に、一ヶ月遅れ…いわゆる旧暦ってやつか？…の七夕祭りをやっている。祭りは二日間あって、一日目には花火大会も催される、県内でもそれなりに有名な祭だ。まあ、高校に入ってからは殆ど行かなくなったけど。
「いいよ、どうせ暇だし。
久しぶりに行ってみるのもいいかな」
　今回の帰省は全く予定も立ててなかったから、時間の潰しかたに苦慮してたところだ。俺はそんな事で機嫌が直るのなら、と快諾した。
%n
「えっ、ほんとにいいの？
ありがとーっ、まーくんっ」
　…さっきまでと声が違うぞ…いいようにハメられたかな。
「なんだよー、ずりーな、ねーさん」
　うーん、そんな簡単な手口に引っかかった自分になんだか腹が立ってきた。
「ホントに、ねーさん怒らせちゃったんじゃ」
　俺は助手席の方に顔を向けて…
%n

「ない…か…って…」
「ん？」
　突然目に飛び込んできた、姉さんの笑顔のアップ…姉さんは、この狭い車内で、俺の方に身を乗り出してきていた。
　心臓がどくん、とひとつだけ鼓動を打ってそのまま止まる。
　鼻先が触れそうな距離、丸眼鏡の奥に一瞬見えた笑みも止まった。
きょとんと見開かれる姉さんの瞳
唇に微かに触れる姉さんの息。

「…」
「…」
「……まーくん…」
「…ね……ねーさ…」
%z

「……前…」

「あっ？、あーっ！！」

　慌てて思いっきり踏んだブレーキが、黄色い悲鳴をあげた…。


…
…
「はい、水口です……あ、こんにちは、真樹ですか？ごめんなさい、まだ寝てるんです……急ぎのご用でしたら起こしましょうか？……あ、いいんですか？……はい…はい……それじゃあ、真樹に伝えておきますから……いえいえこちらこそ……はい、わざわざすいません……」

ガチャ

ん？

　次の日の朝、またもや昼近くまで寝過ごした俺が階段を降りてゆくと、居間の隅に立っている姉さんが見えた。今電話を切ったばかりのようだった。
「……電話？」
「あ、まーくん、起きたの？
今バスケ部の後輩の人から電話だったの、ごめんね、切っちゃって」
　姉さんはちょっと申し訳なさそうな顔をして、両手を口元で合わせた。
「いいよ、どーせ大したことじゃないんだろうし」
　もう現役でもないし、と付け加えて、俺は軽く姉さんに返した。


　電話といえば…俺はこの家で自分から電話に出ることはほとんどなかった。というのも、姉さんの声って、其処らの声優顔負けの美声で部員達にも有名だったから、
『いいか、お前は電話に出るな、いいな』
なんて、同期の奴等からは事ある毎に言われてた訳だ。確か、俺の家に連絡入れる順番まで決めてあった気がする。…そー思うと恵まれてるなあ、人魚って。母さんも声綺麗だし。


「で、一体なんの用事だったの？」
　そんな下らないことを考えつつ、肝心の内容を尋ねる、と。
「うん、今度の土曜日、バスケ部のＯＢ会やるから、来てください、って」
　ん？土曜日？って、その日は姉さんと祭に行く日じゃないか。昨日、一日目の金曜日は花火見に行って、二日目の土曜日は街に出るってことになった筈だ。


さて、俺は…
１．ＯＢ会は欠席する
２．うーん、どーしようかなぁ


（４－１）
「土曜日って、ねーさんとお祭行く日じゃないか。ちょっと無理だろ」
　俺は躊躇せず言った。
「そうだよね、でも折角誘ってくれてるんだし…」
　姉さんは自分で電話を受けたこともあって、ちょっと気の毒そうな顔をして言った。
「どっちも行ければいいんだけど…」
うーん、どうしたものかなぁ


（４－２）
「うーん、どーしようなぁ」
　姉さんとの約束はあるものの、一年半ぶりに仲間と会える機会ってのも、捨て難い気がする。
「まーくん、どーしたの？」
　姉さんが他人事のように尋ねた。
「土曜って、ねーさんとお祭行く日だろ」
「あっ、ああっ、そうだったね」
……姉さん、あんたって人は…
「なんとかどっちも行けないもんかなぁ」
ともかくも、俺は思案した。


（合流）
「あ、そーいえば」
　俺は肝心なことを聞き逃していることに気がついた。
「ねーさん、そのＯＢ会、何時に何処でやる予定って、言ってた？」
　土曜日の晩に商店街まで出るといっても、夜そんなに遅くまでいるわけじゃないし、時間と場所によってはそのまま合流できるかもしれない、別に遅れたっていいし。
「あ……」
「飲むんだろうし、そんなに早くは…」
「……聞くの忘れちゃった」
……あのね、姉さん…
全身の力が抜けた。
「解った。とりあえず覚えとく」
　誰が電話したのか知らないが、ちゃんと連絡しとかないんだから、最悪行けなくても文句は言えないだろうと、俺は朝食のテーブルについた。


　その日の昼ちょっと過ぎ、俺は散歩がてら、昨日姉さんと買物に出かけた商店街まで足を伸ばした。

『じゃあね、ねーさん行ってくるから』
『あれ？どこ行くの？』
『ちょっと図書館までね…、あ、別にお留守番とかいいから、好きにしてて』

　姉さんは俺が朝飯を済ましてすぐ、ゼミの宿題の資料を探しに、ご愛用のスクーターをパカパカさせて大学に行ってしまったのだった。どうせ家にいても暇で仕方ないので、こうしてブラブラしてる訳なんだけど…
「おっ…」
　知的な小さ目の眼鏡を掛けた、綺麗な女性とすれ違う。ふと振り返って足元を確認すると…やっぱり。
　綺麗で眼鏡とくると、それは人魚さん、って言うのが１地方都市のここでもお約束になる位、町中で人魚は普通に見られるようになった。なんでも、水中と陸上では光の屈折率の違いでだいぶ見えかたが違うらしく、コンタクトでも矯正が難しい程、人魚さん達は陸の目が悪いってことだ。姉さんもご多聞に漏れず眼鏡を外すと何もできない、子供のときよくふざけて姉さんの眼鏡隠してこっぴどく怒られたもんだ。


　…って行ってる間に、ここって…
そこは、昨日姉さんが立ち止まってたブティックだった。
　歩道に向けて広く開かれたショーウインドウの中身を覗き込む。夏の陽射しを照り返す硝子の向こう、入口ドアの一番近くに、控え目なデザインのビキニが一着、飾られていた。

　艶やかなウルトラマリンが、ジンクホワイトの水平線に吸い込まれてゆく色使い。

海の色だった。
姉さんが、もう１０年も戻っていない、
あの海の、色。

やっぱり…姉さん…


さて、俺はどうする？
１．ブティックに入る
２．もう少しウインドウを眺める


（５－１
：美潮エンド「海へ」のフラグです）

「ありがとうございましたーっ」

かろんかろん…

　小洒落た木枠の扉を押して、俺はブティックを出た。…くすんだ茶色の、渋い手提げの紙袋をぶら下げて。
　ウインドウ越しに見た水着に付けられていた値札の金額は、俺が帰省前にかき集めたバイト料のおおよそ半分。さすがに財布に手を掛けたときには若干のためらいがあった。

　あー、買っちゃったよ。
どーすんだよ。俺。
　俺は小さい手提げ袋を覗いた。中の水着は丁寧にラッピングしてあって、外見からは何を買ったのかは解らない…けど。

『プレゼントですか？』
『…は、はい』

　…あー、空色の紙包みに、ご丁寧に可愛いピンクのリボンまで付いてる。ちょっとこれ渡すの恥ずかしいな。


「先輩っ！」

びくぅ！！

　一瞬体中に電気が走った。反射的に声のする方へ振り向くと、そこには渡良瀬が満面の笑顔で立っていた。

「真樹先輩、どーしたんですか。
似合わないブティックなんか入って」
　似合わないは余計だ。
「あ、あー、ちょっとねーさんに頼まれてさ…」
　俺は手にした袋を、出来るだけ渡良瀬の目の届かない位置に持ち替えて、もっともらしい返事を探した。
「へー、お使いですか…」
「ん？どうした？」
「いえいえ、ふーん」
「なんだよー」
「まあ、そーいうことにしといてあげますよ、先輩」
　渡良瀬はお見通し、といった表情で目を軽く細め、くすり、と笑った。
「でも、今度は私のプレゼント買ってくれないかなぁ、先輩っ」
　くそー、こいつ勝手に変なこと想像してるぞ全く…ってまあ、大体合ってるから否定できないけど…。


（５－２
：こちらの選択では美潮エンド不可）
「うーん」
　俺はしげしげと、ウインドウの向こうでつやつやと光る水着を覗き込んだ。というより、その水着からぷらりと小さく垂れている、値札を見ていたんだけれど。
「ちょっと待てよ…こんなにするんかよ」
　値段は俺が夏前半で稼いだバイト料の実に半分だ。さすがに腰が引けるぞ。

さて、どうしたものか…

「あっ、先輩！」

　ショーウインドウの前であれこれ思案していた俺の傍らへ、渡良瀬が駆けてきた。…これじゃ、店に入る訳にもいかないな。
「先輩、どーしたんですか？
服屋さんのショーウインドウなんか覗いて、似合わないですよ」
　…お前なー…
「って、あれ、水着なんか見てて～、
真樹先輩の、エッチ」
　エッチって言うな。いつも一言多いぞ。
「別にどーだっていいだろ、ちょっと目に留まっただけだって」
　俺は少々不機嫌そうに答えた。それでも渡良瀬のペースは変わらない。
「ひょっとして、私に買ってくれるんですか？あーっ、どーしよー、私ってば」
「…馬鹿言うな」
　俺は渡良瀬を放って歩きだす。
「あーん、冗談ですよぉ」
　渡良瀬が俺の背を慌てて追いかけてきた。


（合流）
…
…
「ふーん、じゃあ、あそこの短大行ってるんだ、渡良瀬」
「はい、一人暮らしだといろいろ親に負担かけるし、やっぱり自宅通いが楽でいいなーって」
「そーかー、お前の家って、兄ちゃん二人ともまだ大学だったもんな」
「すごーい、よく覚えてますね」
「…お前に何度も何度も教えられたからな…あと誕生日とかな、覚えちまったよ、渡良瀬のその手のこと全般」
「えーっ、そーでしたっけー？」


　渡良瀬と肩を並べてアーケードの下を歩く。蒸し返す熱気はそれほど変わらないものの、真上から射す陽の光を避けられるだけでも、だいぶ楽だ。
「ねえ真樹先輩」
「あ？」
　渡良瀬が呼びかけて、俺が答える。
右に首を傾けると、渡良瀬がポニーテールをぴょこぴょこと揺らして、嬉々として話始める。大抵話すことは取り留めの無いことばかり。でも。

…なんかいいかも。

　姉さんと歩いてる時もそれはそれで勝ち誇った様な気分になれるけれど、渡良瀬も外見は決して引けを取らないっていうか、正直可愛いし。俺が外から見たら絶対羨ましがるぞ。
　うーん、こんなとこ、他の奴等には絶対見せられないよなぁ。


「あ、ところで先輩」
「ん？」
　これで何回目の「ところで」かと思って聞き流しかけた、そのとき。
「今度の土曜日、ＯＢ会あるって聞いたんですけど、真樹先輩も行きますよね？」
　頭の隅に追いやられていたＯＢ会の話題が、渡良瀬の口から飛び出した。
「なんだ、渡良瀬んとこにも連絡行ってたんだ。あー、でもなー」
　俺は、待ち遠しくてしょうがないといった表情の渡良瀬を前に、少々申し訳なさそうに言葉を続けた。
「俺、ちょっと予定入ってるから、どーしよーかと思ってんだ」
「えーっ、来てくださいよー、みんな真樹先輩に会えるの、楽しみにしてますよー」
　渡良瀬は慌てた様子でツリ目がちの目をいっぱいに見開き、周りも気にしない大声で返した。…しかし俺ってそんなに部員仲間に人望あったかなぁ。
「そりゃまあ…俺も久しぶりだし、みんなに会いたい気も確かにするけどさ…」
「でしょう？」
「でも、時間も場所も教わってねーぞ？」


「……はい？」


　気のせいか？渡良瀬の顔が一瞬、青ざめたように見えた。…あれ？黙っちゃったよ、渡良瀬。

（…あ～んの、役立たず～～っ）
「ん？何か言ったか？渡良瀬」
「あ、あははは…、なんでもないですー」
　渡良瀬は取り繕ったような、引きつった笑みを見せた。
「あ、場所とか知らなかったんですか。
えーっと、土曜日の夜７時、本町の『どん』でやるって聞きましたよ。場所、解りますよね？」
「ああ、７時な、でもホント、行けるかまだ解らないからさ、渡良瀬からも幹事の奴に言っといてくれよ、行くんだったら」
　再び話し掛けてきた渡良瀬の顔には、いつもの笑顔が戻っていた。彼女から詳細を確認した俺は、とりあえず曖昧な返事を残しておこうと、そう言った。が、
「駄目ですよ～、絶ーっ対、来てくださいね！」
「うーん」
「幹事には、『行くって言ってた』って、伝えときますから。それじゃ！」
「おいおい、あ、渡良瀬ぇ！」
　俺が呼び止めるのも聞かずに、渡良瀬は駆け出して行って、商店街の奥に消えた。


　…あーあ、行っちゃったよ。
相変わらず勝手だなぁ。まあ、『別に来なくても大丈夫ですよ』とか言われるよりは嬉しいけど。さて、困ったな。あの調子じゃ遅刻も許してくれそうもないし…
　俺は姉さんと渡良瀬の怒り顔、どっちが怖いか想像しつつ、近場のゲームセンターで夕方まで時間を潰した。


　次の日の木曜日、祭りを明日明後日に控えたその朝、俺は珍しく早く起きた。目覚しはなんと７時ちょっと前を指している。そりゃ昨日、１０時前に寝ちまえば起きるのも早いよな。
　適当に着替えて階段を降りると、居間にも台所にも人の気配はなかった。ってことは、姉さんまだ寝てるのかな。

ぱたん、ぱたん…

　居間のカーテンを開けて、テレビのスイッチを付けると、今朝のニュースを告げるアナウンサーの声に混じって、階段を降りる音が聞こえた。
「あ、おはよう、ねーさん……んあっ！」


「………むー」

　ボサボサの髪、パジャマ姿のままで居間のドアを開けた姉さんの半開きの目。
　やばい。やばすぎる。ありゃー、起きてないぞ絶対。
　ここ一年来忘れていた恐怖の日々が蘇る。姉さんは生来の低血圧で朝が弱く、２～３０分は布団の中でボーッとしてないと頭が機能しないらしいのだけれど…

かちゃ

　…あ、ご飯よそってる。おかずも用意しないでイキナリご飯か？
俺は機嫌を損ねないように注意しながら、そーっと椅子に座った。なんにもないテーブルに茶碗が一つ、二つ置かれる。

　で、この起きてるようで起きてない時間が非常に危険で、下手をうつと何が起こるか解らない。機嫌を損ねると、大抵何かしら飛んでくるのだ。

「…やけどするほど～　…あつい～うちに～　…ごはんにまぜて～　…くち～に～は～こ～ぶの～…」

　…なんかぼそぼそ歌ってるぞ。今朝はご機嫌だな。
　今日は大丈夫かな。昔姉さん起こしに行ったときは、至近距離から目覚し時計、飛んできたから。あれは痛かった。

「…たのしい朝も～　…かなしい朝も～　…考えないで～　…なるべ～く安～い～　…玉子を割るの～…」

　冷蔵庫から取り出された玉子が一個、茶碗の横に置かれた。
　…これだけか？しかも特価品らしい。
あー、むーむー歌いながら混ぜてるよ、姉さん。楽しそうだな。

ぴた

　面白げに眺めていると、姉さんの手が急に止まった。あれ？
「……むー」
　半開きの姉さんの目に視線を移してぎょっとする。や、やばい、殺意がこもってる。まだ目が覚めてないくせになぜかちゃんと掛けてる眼鏡の奥に、鈍い光が宿ってる。俺が自分の玉子ごはん混ぜてなかったのが気に障ったのか？

むんず

　姉さんが右手を伸ばした先に、ヤカンの取っ手が垂れていた…
　ちょ、ちょっと、あーーっ

さて、俺は？
１．逃げ出す
２．ねーさんに謝る


（６－１）
「おっ、俺っ、帰りの切符取って来るから、じゃ！、ごちそーさま！」
　身の危険を肌で感じた俺は、取るものもとりあえず家を飛び出した。大慌てで玄関を抜けた辺りで、けたたましい金属音が聞こえたような気がした。投げたな、あれは。
　さて、どうしようか。
　まあ、どうせ姉さんがちゃんと起きるまで家に帰るのは危険だし、さっきは勢いであー言ったものの、帰りの切符は買っといた方がいい。やっぱり駅に行くか。
　セルボに乗り込んだ俺は、結局玉子ごはんすら食べ損ねた空きっ腹を抱えて、駅へ向かった。


（６－２）
「ね、ねーさんっ、ごめんっ、何がごめんなんだか解らないけどっ、許して下さいーっ！」
　俺はとりあえず手を合わせて謝った、ヤバイ時は下手に出て謝っちゃうに限る…って、あぁっ！


ごわわわん


…
…
「まーくん～、大丈夫～？」
　気がつくと姉さんの膝の上だった。どうやら、玉子ごはんの代りにヤカンを食らって、一瞬意識が飛んでたらしい。
「ごめんね～、またやっちゃった～？」
　姉さんはいつもの「起きてる」姉さんに戻っていた。おろおろと、心配そうに俺を見下ろしている。
「…あんま大丈夫じゃない…」
　俺は、濡れタオルが乗せられた、まだじんじんと痛む額に手を当てて答えた。
「ごめんね～、まーくん」
　項垂れた姉さんの髪が、鼻先をくすぐる。姉さんの髪の匂い、昨日のシャンプーの匂いがまだ淡く残っている。…痛いけど、なんかいいかも。姉さんの膝、柔らかくてあったかいし。
…
…
「ねぇ、まーくん」
「……ん？」
「…もーいいんじゃない？」
　結局３０分も姉さんの膝を楽しんでしまった訳で。さすがにこれ以上引き伸ばすと姉さんの肘が落ちてきそうだから、俺は後ろ髪を引かれつつ立ち上がった。そー言えばまだご飯食べてないし。

…
…
「あれ？どこ行くの？まーくん」
　早め…ハプニング込み…の食事のあと、玄関で靴紐を結んでいる俺に、姉さんが声をかけた。
「ちょっと駅にね、帰りの切符買いに」
　玉子ごはんを平らげる頃には、額の腫れも引いていたので、俺は忘れないうちに帰りの足を確保しておこうと思ったのだった。
　玄関を開けると、午前の陽射しが横っ面をちりちりと焼いた。


（合流）
「はい、6,220円ね」
　夏休み中とはいえ、平日の駅前通りは結構混んでいて、構内へ辿り着くまでには多少難儀した。俺はみどりの窓口で帰りの乗車券と特急券を受け取ると、ロータリーに路上駐車中のセルボへ急いだ。出勤前のスーツの列に混ざって、早足で階段を降りる。

「あれっ、おいっ、真樹かぁ？」
　階段半ばですれ違った学生っぽい男が、背後から声を掛けてきた。張りのある少し高い大声、聴き覚えのある声だ。
「おおっ、創平ぃ。どーしたんよ？」
　見上げる先に、少し口元の緩んだ、「仲間」の一人が片手を振っていた。


…
…
「なんだよ、もう来週、帰っちまうんかよ？」
「ちょっとバイト入れちゃっててさ…悪ぃな」
　北口の階段下。路駐のセルボを遠目に、俺達は庇の日陰で話し始めた。コンクリートの壁に寄りかかっている創平…現役当時の主将で、何かと気が合って行動を共にしていた奴なんだけど…は、俺の帰省が短いことを知って残念そうに言った。
「そーいや、昨日渡良瀬に会ったぞ。なんか明後日、ＯＢ会あるんだってな」
「ああ、聞いてるよ。真樹も来るんだろ？」
「いや、それがさ…」
　俺は、姉さんとの約束とＯＢ会がかち合っていること、渡良瀬には『絶対来て』と言われたものの、遅れるか最悪欠席かもしれないことを告げた。
「まあ、今回の帰省でお前にも会えたしさ、ちょっとでも顔出せりゃいいだろ？」
　正直なところ同期の仲間、特にこいつとは顔を合わせておかなけりゃと思っていたのが、「どうしようか」の大きな原因の一つだった。だから今創平に会ってこうして話している時点で、俺の気持ちはだいぶ「行かない」寄りに傾いてきていた…


「……お前なー……」
「あ？」
「ＯＢ会、誰が幹事してるか知ってて言ってるんか？」
「ん？」
「……計ちゃんだよ」
　創平は、飲み干した烏龍茶のアルミ缶をくしゃりと潰して、吐き捨てるように言った。


　徒歩で駅まで来ていた創平を、セルボで送ったその帰り道。

『お前、そーいったことは全然知らねーんだな』

　俺はあのあと創平から、自分の知らない１年半分の渡良瀬を聞かされた。
　俺が上京してから夏と冬の二回、帰省の時期を選んでのＯＢ会を、渡良瀬自身が呼びかけていたこと。
　俺の参加しないＯＢ会を、残念そうに迎えていたこと。
　そして……

『計ちゃんな、お前の大学、受けてたんだぞ…』
『あ？そんなこと一言も聞いてねーぞ？』

　渡良瀬は今年の春、今俺が通っている大学を、受験していた。合否は五分五分だったらしいが結局不合格に終って、滑り止めに受けた地元の短大に進んだ…のが進学の真相だった。キャンバスでバッタリ会って俺を驚かしてやるんだ、という言葉が、当時の渡良瀬の口から良く出ていたそうだ。


「……変わってねーな…」
　高校の頃の渡良瀬が頭に浮かぶ。

そういえば……
１．あの時…
２．こんなことも…


（７－１：計エンドのフラグです）
　あの時…
俺は初めて、渡良瀬が泣いている姿を見た。二年の、インターハイ予選最後の日だった。
　渡良瀬は、俺達の汗の染みたタオルと、空になったスポーツドリンクのボトルを抱えたまま、洗面所の隅で泣いていた。

『……ぁ……先輩……』

　あの年はここ数年で一番強いと言われたチームで、初のインターハイ出場に向けて、部員全員が意気込んでいた。

『……負けちゃった……』

　結果は、決勝リーグ出場目前の敗退。インハイ常連校相手に８２対７９の惜敗だった。
　最後に放った俺の３ポイントシュートがリングに弾かれて、ホイッスルが鳴った。

『……私たちが…もっともっと……応援してたら……』

　悔しくて、情けなくて、柄にもなく流れそうになった涙を見せたくなくて飛び込んだ洗面所にいた先客が、渡良瀬だった。
　いつもの、小憎らしいほどの笑顔をくしゃくしゃにして、流してしまった涙を止める事も出来ずに泣きじゃくる渡良瀬。
　あいつも、涙を見せたくない意地っ張りだった。
　あいつも、同じ事に笑い、泣くことができる奴だった。

『しょうがねえだろ、負けちまったんだからよ』
『…でも……』
『ほら、泣くだけ泣いたら来いよ、みんな待ってるからな』
『……グスッ…』
『…じゃ、先に行ってるぞ、渡良瀬』

　あのときからだったと思う。あいつを「計ちゃん」じゃなくて「渡良瀬」って呼ぶようになったのは。肉親以外の異性で、何でも話せる「仲間」が、ひとり増えたのは。

…
「渡良瀬…あいつ……」
　俺はアクセルをぐっと踏み込んだ。


（７－２：こちら選択は、計エンド不可）
　こんなことも…あったよな。
二年生の春が終り、新チームに変わってすぐのある日のことだった…と思う。午後の授業が美術で、俺は置きっぱなしにしておいた絵の具セットを取りに、昼休みの部室に足を運んだ。

ガラッ
『ひゃぁ！』
『あれ？渡良瀬』
『もー、びっくりさせないでくださいよ』
『悪ぃ悪ぃ、でもお前、昼休みだってのにこんなとこでどーしたん…』

　誰もいないと思って乱暴に開けた部室のドアの先に、渡良瀬がいた。突然の来客で驚く彼女の膝の上には…


『お前、こんなこと一人でやってんのかよ…』
『えへへ…、内助の功って奴で』
　渡良瀬が膝に抱えていたのは、綺麗に磨かれたボールだった。足元には所々擦れて色褪せたボールが練習用、試合用混ざって転がっている。
　そのとき、ふと気がついた。今年に入ってからというもの、用具や備品のトラブルで一年がどやしつけられる事が全く無くなっていた。ボールの空気洩れも、テーピング切れも。そういえば今俺が居る部室も、俺が一年の頃と比べると格段に綺麗に整頓されていた。

『渡良瀬、ボロ貸せよ、ほら』
『…真樹先輩？』
　俺は渡良瀬の隣の椅子に乗っていたボールをどけて、座り込んで言った。きょとんと覗き込む渡良瀬に構わず、俺は手を動かして、言った。

『さっさと終らせちまおうぜ』
『………』
『俺だってな、一年の頃はボール磨き、上手かったんだぜ。お前になんか負けねーぞ』
『…ふーん、どーだかっ』


…
「あいつ…また…」
　俺はアクセルをぐっと踏み込んだ。


（合流）
…
…
「ねーさん、風呂あがったよー」
「はーい」
　夕食の後、俺は早めの風呂から上がって、Ｔシャツ姿で居間へ戻ってきた。
　…俺は創平を送ったあと、そのまま家に帰った。既に姉さんは大学に出かけてしまっていて、俺は一人きりの実家でだらだらとテレビを見て過ごした。
　明日から祭が始まる、そして明後日は…うーん、ちょっと気が重い。とりあえず、もう一度姉さんに相談してみるか…って、姉さんもうお風呂入ってるか。


　風呂っていうと、何年も前から、風呂には俺達が先に入って、姉さんが最後と決まっていた。湯船ってもんが無い人魚の生活を続けていた当時の姉さんには、陸上の風呂がたいそう気に入ったらしくて、それこそ風呂に入ったら一時間でも二時間でも入りっぱなしで出てこなかった。それは今でも変わらない。

「ねーさんも一体、何が楽しいんだか」

　暇を持て余して適当に流していたバラエティー番組が終ると、俺はソファーに寝そべった体を持ち上げた。
　…そーいや、姉さんが来てすぐの頃って、一緒に風呂に入ることもあったような気がする。それが別々になったのって、異性として意識しはじめる前に、入ってるのが長すぎて俺の体が保たなかったからだよな。今思うと…お風呂で人魚と一緒ってのも、なんかすごくイイけど。

「いつもながら…長いな」

　半分ほど入っていたパックの牛乳を口飲みで飲み干す頃には、湯上がりの汗も引いていた。
　…あの頃って、俺だけじゃなくって、姉さんの方もよくのぼせてたっけ、あんまり入ってるのが長いんで、俺とか父さんとかが見に行くと、姉さん、茹で上がって動けなくなっちゃってて…
　って、今日も随分と長いな。もう夜のニュース番組も終る時間だぞ。

「……まさか」

　俺は、二十歳過ぎの女子大学生が、まさかとは思いながら、風呂場へ向かった。


ドンドン

「ねーさーん、大丈夫ー？」
　…返事がないぞ。


ドンドンドン

「ねーさーんっ」
　…もうあがって…ないよな、下着脱ぎっぱなしだし…うーん、仕方ない。


ガチャ

「ねーさんっ……って、あーあ…」

「くるくるきゅ～～…」


…
…
「なんだかなー、もー…」
　俺はソファーに姉さんを寝かせて、自分の膝枕に載せた姉さんの頭を、団扇でぱたぱたと扇いでいた。額に濡れタオルをあてがった姉さんはまだ目を回している。
　湯船でぐでんぐでんにのぼせた人魚ってのはなんとも格好の付かないもので、ちょっと重かった上になんてゆーか、目のやり場に困った。俺が一人で服着させることも出来ず、ともかくもバスタオルだけ巻いて、こうして居間に寝かせてる訳なんだけれど…

ぱたぱた

　半ズボンの裾から剥き出しの腿に、火照った姉さんの体温が伝わる。部屋にエアコンをかけているせいもあって、尚の事熱っぽく感じる。俺が氷水で冷やして当てた濡れタオルを裏返すと、姉さんは小さく寝返りを打った。
「…うぅん……」
　俺の腹に顔を向けて、艶めかしい吐息を漏らす姉さん。
　…な、なんかちょっとアレな体勢だな。
俺の指に、まだ湿った姉さんの髪が掛かる。視線が知らず知らずにバスタオルの方に移ってゆく。


うーん、辛抱たまらん。
さて、俺は…
１．ここはじっとガマンして、
　　姉さんが気がつくまで介抱
２．どうしても中身が気になる
　　だって男の子だもん


（８－１）
　あー、駄目だ駄目だ、何考えてんだよ、俺。
　ぶんぶんと頭を振って、姉さんの寝顔を見る。やや紅潮した姉さんの顔から、険しさが消えてきた。だいぶ気分も良くなってきたみたいだ。俺は姉さんの髪をすっと指で梳いて、また優しく団扇を扇いだ。
　すると、漸く姉さんが薄く目を開けた。


（８－２）
　うーん、なんとも姉さんの中身が気になる。だって、男の子だもん。
　俺は、姉さんがまだ目を回しているのを確認してから、軽く胸元から腰に巻いただけのバスタオルの隙間へ視線をやる。
　…小っちゃいな。殆どスキマなんて無いぞ。まー、そこが良いって言っちゃーナンなんだけど…。
　俺は右手でそーっと、バスタオルの端をつまんで、引き上げた。

「…う…うーん…」

びくぅ！

　俺は右手を、何かに弾かれたように離した。姿勢を正して、姉さんの顔を見下ろす。姉さんがゆっくりと薄目を開けるのに間に合うよう、俺は早まった動悸を必死で静めた。


（合流）
「…あ…まーくん…」
　弱々しい声をあげる姉さん。
「大丈夫かよ、まったく。子供じゃないんだから…」
「ごめんねぇ…」
　姉さんは、ごめんと謝りながら、なんだか嬉しそうな笑みを浮かべた。

「なに、笑ってるん？」
「…ううん…」
　俺が不思議そうに尋ねると、姉さんは今度は、ちょっと照れくさそうに否定して、また笑った。


「まーくんって、やっぱり頼もしいね…」
「…？」
「…ちょっと、思い出してたの」
「……」
「こっちに来て、ちょっとしてから、私…よく『帰りたい』って、むずかった事あるでしょう？、あの頃のこと」
　俺は、姉さんを膝枕にしたまま、姉さんの言う「あの頃」を思い出した。
　姉さんは、父さん母さんの再婚でこっちに越してきた当初、言葉の壁とか、人魚が町に殆どいないとかいったことがあって、なかなか陸の生活に溶け込むことができなかった。かといって、もと住んでいた人魚の町へ足を運ぶことは、便のいい東京ならともかく、この町からではそう容易ではなかった。だからその頃、姉さんはよくホームシックにかかっていたんだ。

「…ごめんな…」
　俺は反射的に、姉さんに謝っていた。
「ううん、そうじゃなくて…」
　俺の気持ちを察したのか、姉さんは優しく否定した。
　…姉さんのホームシックの原因の大半は、俺にあったからだ。
　俺は、姉さんが来るより何年も前、まだ父さんと二人暮らしだったとき、海で溺れて一度死にかけたことがあった。それからの俺は海とか、大量の水を前にすると足が竦んでしまうくらいの水嫌いになってしまっていたんだ。
　当然のことながら、この、車で３０分も走れば海に辿り着く町にあって、俺達家族は夏の海水浴に行くこともなければ、長い船旅の先にある、姉さんの生まれ故郷に里帰りすることも全くなかった。
　…全部、俺に気を遣って。


「私、少しだけもとの海に帰れたって、やっぱりずっとここで暮らしてく訳だったんだもん…まーくんのことは関係ないよ…」
　俺が少し暗い表情を見せていると、姉さんは俺の弱みにできるだけ触れないように言葉を足して、話し続けた。
「まーくん、覚えてる？」
「ん？んー、あんま良く覚えてねーなぁ」
　俺は天井を向いて、ぽりぽりと頭を掻いた。
「あの頃…、よく一緒に寝てくれたよね、私が泣いちゃった夜とか」
「…そーだったっけか？」
「それでね…言ってくれたんだよ。『俺がずっと側にいてやるから』って、『俺が言葉いっぱい教えてあげるから』って」
「……」
「…ふふ…情けないお姉さんだよねー」
　忘れてる訳なかった。
　俺が言った、今思い出すと恥ずかしくて顔から火が出そうな言葉も全部覚えてる。
　…俺の大好きな姉さんの泣顔なんか、見たくなかったから、いつも微笑ってる姉さんの側に、ずっといたかったから。


　その頃からだった。「僕」が「俺」になったのは。姉さんが自分から、町に出る事が多くなったのは。


「まーくん」
　姉さんの語調が少しだけ強くなった。
「ん？」


「いいよ」


「…いい…って…」
　俺は、突然の一言にどきりとした。
ちょっと待て、この状態で「いいよ」って、そりゃーやっぱ、アレか？…でも俺ってば、ココロの準備がっ。…とか頭で反芻しつつも腕を膝下の姉さんに伸ばしかける俺。

「行きたいんでしょ？ＯＢ会…いいよ、行ってきても」

…がちょーん…

　やり場のない手をぷらぷらさせて、思わず赤面してしまった勘違いな俺に気付いていないのか、姉さんは首を横に傾げて、平然と言っ放った。

「…どうして？」
　俺が気を取り直して聞き返すと、姉さんはお見通しよと言わんばかりに答えた。
「まーくん見てればすぐ解るよ、柄にもなく悩んじゃって…、私の方は気にしないで、行ってきなよ」
「…あ…」
　俺は二の句が継げなかった。
「みんなとも会いたいでしょ。それと…渡良瀬さん…だったっけ？あの子にもまた会いたいんじゃない？」
　ふと、姉さんの笑顔に翳りが差したような気がした。
「なっ、ねーさん、そんなんじゃ…」
　渡良瀬、という言葉に俺は慌てて否定してしまったけれど、正直それは当たっていたかもしれない。あいつの折角の好意を無駄にしたくないということが、頭の隅にあったから。
　…姉さん、気にしてるのかな。あいつの事。でも…


「だからー、明日は二日分遊ぶからねっ」
　一瞬流れそうになった気まずい雰囲気を吹き飛ばすように、姉さんはいつもの笑顔を見せてくれる。自分では「情けない姉さん」なんて言ってても、俺はいつもこの優しい笑顔に救われてるんだよな。
「…もう大丈夫だよ、まーくん」
　そう言うと、姉さんは腕に力を込めて体を起こし始めた。そういえばもう１２時を回る程の時間だった。
「ありがとね」
　立ち上がって、って、お礼はいいけど…あの…バスタオル軽く巻いてるだけなんだけど、姉さん…


ぱら


　何分の一秒だか、胸から腰にかけて露になった姉さんの…


「きゃーっ！！」


パシッ！


…
…
「もう、赤くなってないよね…」
「大丈夫だって」
　商店街の外れに着く頃には、もう傾いた陽も沈んで辺りは薄暗くなっていた。人の流れは一様に同じく、次第に大きく響く祭囃子の方へ向いている。
　昼頃まで手形に赤く染まっていた頬の腫れも引いたので、とりあえずは人目が気になることもなかった。
「だいいち、あんなに強くひっぱたくことないだろー、マジ痛かったよ」
「ごめーん」
　涼しそうな薄水色のワンピースに袖を通した姉さんが、口元を緩ませて、形ばかりの謝罪をする。
「それよりねーさんこそ大丈夫？家から歩きどおしだろ、どっかで休まない？」
「ううん、平気だよ、まーくんが支えててくれるから」
　俺が姉さんに尋ねると、姉さんは組んだ腕にぎゅっと力を込めて、心もち俺に寄りかかったままさらりと言ってのけた。もともと陸で歩くのには向いてない人魚の足だ。二人で長い距離を歩く時には、小さい頃から自然とこういった、腕を組む格好になっていた。…この姿を知り合いに見られて、要らぬ詮索をされた記憶は枚挙に暇がないのだけれど…


「あーっ、もう随分賑やかだね」
「まだ結構早いけどなぁ」
　駅前の交差点を左に曲がると一段と明るく照らし出されたアーケードの列が、見えなくなる程先まで続いていた。見上げる庇の上に伸びる大小の七夕飾りと、軒を連ねる夜店、そして道の真ん中に陣取る櫓と祭囃子、溢れかえる人の波。久しぶりに見る故郷の祭の風景は、なんだか気恥ずかしい位に懐かしかった。
「まーくんとお祭来たのって、何年ぶりかなぁ」
「…中学の頃来たのは覚えてる」
　思えば５年近く、姉さんと祭に行っていなかった、と言うか、祭自体から足が遠のいていたというのが正確なところだ。
　最後に姉さんと行った年、あの頃はまだ姉さんの方がちょっと背が高くて、七夕飾りも今よりずっと高く見えた。５年の月日はその頃別世界のように見えた祭を、陳腐な日常の延長に過ぎないものと感じさせるに充分だったけれど、それでも何か心を躍らせる感覚を覚えるのは、それが祭の持っている力なのか、姉さんと寄り添って歩いているからなのか、それは良く分からなかった。
　二人で何をするでもなく、道の両脇をきょろきょろと眺めながら、人の波に飲まれて歩く。ふと、俺達の目が一つの夜店を捉えた。

それは…
１．輪投げの夜店
２．チョコバナナの夜店


（９－１）
　目に付いたのは、輪投げの夜店。昔は必ず何百円もつぎ込んだものだったけれど、よくよく考えると、景品もろくなもんじゃなかったし、なによりあの小っちゃい輪っかじゃ、まともに景品なんか取れる筈なかったんだよな。なんであの頃はあんなに熱中したんだろ…と思って姉さんの顔を覗き込むと…
「…ねーさん…やりたいの？」
「うんっ」
　姉さんは、目を爛々と輝かせて俺の腕を引っ張っていた。


「ほらっ、ちゃんと引っ張っててっ」
「引っ張ってるって…」
　景品に狙いを定めて体を傾ける姉さんの左腕を、俺が背後から引っ張ってバランスを取る。隣のガキが同じことをやってぽいぽい輪っかを投げているが、大の大人がこんなことやってると…なんか情けない。
「ねーさん、俺恥ずかしーんだけど…」
「まーくん、ちょっと黙っててっ
今集中してるんだからっ」
「集中って…ねぇ…」
　もう既に千円近く使ってる気がするけれど、取れたのは指で摘めるくらいのピカ○ュウの人形ひとつだぞ。随分高い買物だよな…それに姉さん、才能ないよ…
　と言っても姉さんが諦めてくれる筈ないので、俺は半ば観念して、姉さんの体を支えていると。
「あっ、やったぁ！ほらほらっ、今度はちゃんと取れたよっ」
　ずっと狙っていた、中段のぬいぐるみがやっと取れたらしく、姉さんは振り向きざま、声を荒立てて言った。


「あっ」


ぐらっ


　無理な体勢から体をよじった反動で、姉さんの体が景品棚の方へ倒れかけた。俺は慌てて姉さんを引き寄せた。


むにゅ


　…なんかちょっと柔らかくて…何も見えない。
　それもその筈だった。俺は姉さんの背中に腕を回して、その胸に顔を埋めてしまっていた。
　衆目の前で…


「………」
「………」


　俺達は先刻姉さんの取った景品を奪うようにして、逃げるようにその場を退散した。


（９－２）
「ねえ、あれあれっ」
　姉さんの目に留まったのは、反対側の歩道沿いに看板だけ覗いている、チョコバナナの夜店だった。俺は姉さんに引っ張られるままに人の川を渡り、チョコの甘い匂い漂うテントの前に辿り着いた。

「はいはいいらっしゃい、あれっ、キレイな人魚さんだねぇ」
「えーっ、そんなことないですよぉ」
　チョコバナナの列の向こうから、威勢のいいパンチパーマのおっさんが声をかけて来た。
　「綺麗な人魚さん」か。やっぱ商売人って、そーいった言葉が躊躇なく出てくるよな、姉さんだいぶ上機嫌だ。
「お姉ちゃん、何本買ってく？オマケしちゃうよ、お姉ちゃんキレイだから」
「えーっ、どーしよっかなー」
　キレイキレイって連発されて、あー、すっかりノせられてるよ。単純だな、姉さん。

「じゃ、５本っ」

５本～～っ！？

「ね、ねーさん、５本ってそれ、誰が食べる訳？」
「わたし」
「…」
　開いた口が塞がらなくなった俺を尻目に、姉さんはおっさんからチョコバナナの束を受け取っていた。
「じゃあ兄ちゃん、５本で千円ね」
「…はい…」
　実はこの間の約束で、祭の買物は全部俺持ちってことになっていたのだ。そーいえば忘れてたよ、姉さんって、夜店の食べ物に目がなかったんだよなぁ…
「ありがとねー、お姉ちゃん、ほらっ、一本オマケしたげるから、そっちの彼氏にも食べさせたげなよっ」
「えーっ、いいんですかー、ありがとーっ。…はい、まーくん」
「…はい…」
　彼氏とか言われても全然嬉しくないぞ。それに、俺にくれるのはオマケかよ。悲しーぜ、姉さん。


「ありがと、まーくん」
「…はあ」
　俺は軽い溜め息を吐いて、オマケに貰った、ちょっと小さ目のチョコバナナの先にかぶりついた。懐かしい甘さが口に広がってくると、こんなこともなんだか許せるような気持ちになった。
「ねえ、ねーさ…んっ！」
　美味しい？と尋ねようと思って振り向くと、姉さんの手の中にはもう食べかけの一本しか残されていなかった。
「美味しかったね、まーくん」
「……」
「あっ、お好み焼っ！」


「あぁっ、もう許してーっ！」


　３０分足らずで財布がだいぶ軽くなった気がした…いや、確実に軽くなっていた…


（合流）
…
「…ふぅ…」
「もう疲れた？まーくん」
　一時間以上かけて祭の通りを大体歩き回った俺達は、商店街の外れにあるデパートの空きベンチに腰掛け、そこで一息ついた。
「あんなに引きずり回すんだもん、ねーさんだって疲れてるんじゃないの？」
「もう動けないかも」
　だらしなく歩道に伸ばしたヒレをぱたぱたさせてから姉さんが振り向く。ちょっと火照った顔が無邪気に緩んだ。


ドン…ドドン……


「あれ？聞こえた？」
「うん、始まったかな？」
　甲高い祭囃子と雑踏のノイズの間をかきわけて聞こえてきたのは、微かな重低音の響き。腕時計を見遣ると、８時を超えていた。
　今日、つまり祭の初日には、街外れの川原で花火大会が行われる。当然、商店街に出て来てしまうと花火は良く見れないので、当初の予定では、今夜は川原へ行って見る筈だった。

ドドドン…ドン……

「今から行っても間に合わないよね」
「うん…」
「どうしようか？」


さて…俺は…
１．「そろそろ、戻ろうか？」
２．「……待てよ…」


（１０－１）
「そろそろ、戻ろうか？」
「……」
「だって、ここじゃどっちにしろ見えないし、今だったら家からでもちょっとは見れるだろ？」
　花火の会場は俺の実家を挟んで商店街とは逆方向だから、どっちにしろ殆ど間に合わない。俺は、姉さんに家に帰る事を提案した。
「………そうだね」
　俺は姉さんの手を引いて立ち上がり、雑踏を避けながら商店街を後にした。


　１０分程歩くと、もう辺りは薄暗く静まり返っていた。背後からは笛の拍子が弱々しく届き、花火の咲く響きが徐々に大きくなってゆく。

「…まーくん」
　重い破裂音の合間、姉さんが小さく囁いた
「ん？」
「今日はゴメンね、わがままいっちゃって…」
　顔を僅かに傾けて姉さんの方を向くと、街灯の光の加減か、丸眼鏡の奥の瞳が潤んでいるように、見えた。
「いいって、俺も久しぶりで楽しかったし、それに…」
「それに？」
「ねーさんの、あんな楽しそうな顔見るのって、何年ぶりかなって、思ってさ」
「……」
　俺は気恥ずかしさに、ぷい、と正面に向き直って、言った。


ドン……ドンドン…


「また行きたいね、ねーさん」
「…うんっ」
　俺の右手を抱く姉さんの腕に、ぎゅっと力がこもる。俺の肩に、姉さんの頭の重みを感じる。


「あっ、花火っ！　ほらあそこ！」

　高層マンションと古びたビルの隙間から、赤と緑の花弁を開いた大輪の花が覗いた。
　俺は、右腕を強く引っ張って、家路を行く足を速めた。


（１０－２）
「……待てよ…」
　俺は低い破裂音だけが流れる夜空を眺めたまま、記憶の糸を手繰り寄せた。

（確か…前にもこんなこと、あったっけな…）
　首を捻ると、背後にデパートの入口…今日はまだ開いてるんだ…あ……


「ねーさん、ちょっと来て！」
「あっ、どーしたの？まーくん」
　俺はベンチで脱力した姉さんの腕をぐいと引っ張り上げ、デパートの中に駆け込んだ。
　エレベーターに乗り込み「Ｒ」のボタンを押す。きょとんとした姉さんと俺を乗せたエレベーターは、５階建ての更に上、屋上駐車場へ着くと、ガコン、と鈍い音を立てた。
　ゆっくりと開く扉の向こうに……


ドン…ドドン……


「あぁっ」
　目に飛び込んできた、赤青黄色の花畑に、姉さんが一際高い声を漏らした。

…
「まーくん凄いね、よく知ってたね」
　所々白いペンキの剥げたフェンスに手をかけて、しばし花火に見入っていた姉さんが声を掛けてきた。

ドドドドンドドドドドド……

　小玉の連発が低く闇夜を照らし出す。
「はは…たまたまだけど」
　俺は鼻頭を掻いて姉さんにそう答えた。実は中学最後の年の祭で、たまたま友達とこの屋上で休んでいた時に花火が始まって、ここが「穴場」だったことを知ったんだ。周りを見渡すと、たいして大きくもないデパート屋上の一角に、もう３０人以上の人が横に列を作っていた。

ぱあっ…
……ッドン……

　今回最大と思わせる大玉が、七色の花弁を夜空に散らして弾けたと見るや、そのあとをゆっくり追って、雷鳴のような重い響きが届いた。

「わあ……」
「……」
「ねえ…まーくん」
「ん？」
「今日はありがとね、いっぱい、わがまま聞いてもらっちゃって…」
　姉さんはフェンスに身を寄せたまま、少しあらたまって、俺に言った。
「いいって、俺もねーさんと二人で遊びに行くって、この頃ホント、なかったし」
　まあ、姉さんが言い出してくれたことだから、ホントは礼を言いたいのは俺の方かもしれないけれど…


「まーくん…また…来れるかな？」


　姉さんの声が急に小さくなる。遠目の花火の破裂音で消え入ってしまう程に。
　俺が気恥ずかしさから夜空へ向けていた視線を姉さんに戻すと、姉さんはじっと俺の方を向いていて、花火の光を時折照り返す眼鏡の奥の瞳が、なんだか潤んでいるように見えた。

「…ねーさん……」

　淡い色のワンピースが姉さんを白く浮かび上がらせる。弱々しい白。そのまま、花火が萎れて消えてゆくように、姉さんがそこからいなくってしまうような不安を覚えた。

「……」

にぱっ

「なーんてね、また来ようねっ」

　俺が口を開けないでいると、気まずい雰囲気を読み取ったのか、姉さんはコロリと笑顔を戻して、跳ねるようにフェンスから離れた。
　姉さんを追って振り向く先に、終り間近の花火に照らされた姉さんが手を伸ばしている。

「今度はねーさんのおごりだからなー」
「えーっ、だったらもう来ないよっ」
　俺は姉さんの手を取って、もう人も疎らとなった屋上を後にした。


（合流）
　８月７日。起きたら既に昼だった。昨日姉さんとバタバタ歩き回ったのが相当身体に疲れを残したのか、姉さんも相当遅い時間に起きたと言っていた。

「じゃあ、行ってくるから」

　ダラダラと昼寝とテレビを繰り返しているうちに日が暮れてきて、最後に目を覚ましたのが６時ちょっと前。急いでシャワーを浴びて、今日姉さんが干しておいてくれたＴシャツとジーンズに着替えたら、もう結構ギリギリの時間になっていた。

「あ、まーくん、帰りは何時位？」
「うーん、今日中には帰れると思うけど…あんまり遅いようだったら、寝ちゃってていいよ。鍵持ってるし」
「うん、でもあんまり無茶して飲んじゃ駄目だよ。一応、未成年なんだから」
「解ってるよ～、じゃあね」
「行ってらっしゃい」
　俺は財布とキーホルダーをポケットに押し込んで、駆け出した。


…
…
「もう来てるよなー…」
　祭囃子の届く裏道を通って、商店街を横切って走る、細い繁華街通りに辿り着く頃には、約束の時間を５分過ぎてしまっていた。俺は小走りに居酒屋「どん」を目指した。この店は３年最後大会の打上げと、卒業前の飲み会で使った店で、ここらでも大きい方の店だから、道に迷う事はなかった。

がららっ

　「どん」の厳つい横引き戸を開けて、そーっと中を覗き込む。入口近くに見知った顔は見られなかったので、奥の座敷へ足を運ぶ…と…

「あーっ、真樹先輩！」
　俺の到着にいち早く気付いて、大声を張り上げたのはやっぱり渡良瀬だった。
「おーっ、真樹ぃ！」
「久しぶりっす、先輩！」
「真樹ーっ、遅刻してんじゃねーよっ」
「おーい、主賓の登場だぞーっ」
…誰が主賓だ。
　俺が引っ張り込まれた座敷には、一つ上の先輩から一つ下の後輩まで、総勢１０数人の宴が出来上がっていた。
「久しぶりだなー、まあ飲めよ」
「まあ飲めよ」
「飲めよ」
　駆けつけ三杯…で済むのか？
暫くの間、俺のグラスのビールが減る事はなかった…


…
…
「だからよー、あん時さーっ」
「でも非道ぇーんっすよ、慎也さんっ」
「計ちゃーん、ちょっとちょっと」
「なにお前ぇー、もー別れちまったん？」
「……」
「…」
　ＯＢ会も酒が入ってから２時間近く経つと、もう殆ど全員が正体を無くしかけていて、思い思いに騒ぎ立てていた。特に一年半ぶりに参加の俺は集中的に攻められて、既に酔いが回りきっているにも関わらず、折にふれてグラスを開けさせられた。


「ん？そりゃー、真樹のアレだろ」
「なんてったって、お前のせいでインターハイが～～」
「またあの話っすかー、やめてくださいよー」
「……じゃあ飲め」
「あぁーっ」
　といった感じでもう、先輩同期後輩と問わず注ぎに来る。返杯したところで１０何対１だ。


さて、俺はどうする？
１．上手くかわしつつ楽しむ
２．とことん飲む


（１１－１：残念でした～）
　いくらみんなでホイホイ注ぎに来たっていっても、全部飲んでたらそれこそ体が保つ訳がない。ここは上手く攻撃をかわしながら飲むとしよう。
　後輩は先輩の威厳でしのぎ、同期も話し込んじゃえばなんとかなる。先輩には出来るだけ面と向かわないように動きながら…

「おーっし、じゃあ二次会いくぞーっ」
　先輩の一人が号令を上げた。この時点で駄目になってない奴等は全員引き連れられて、近場のカラオケＢＯＸへ突撃した。

「ほれ～、ちゃんと予約入れろ～っ」
「お前それ入れんなよ～、俺な俺」
「真樹先輩、デュエットデュエット～」
「あーもー好きにしてっ」
「……！」
「…！」

…
…
　結局宴がなし崩しの終焉を迎えたのは、午前二時をとっくに過ぎた頃だった。千鳥足でやっとのこと家に辿り着いたけれど、居間の電気は当然のことながら消えていた。俺は物音を立てないように階段を昇ると、着替えもせずにベッドに倒れ込んだ。

（→Ｅ３：ハズレエンド「ある夏の終り」へ）


（１１－２）
　ちくしょーっ、そっちがその気なら、俺だって倒れるまで飲んでやるぜ！もう矢でも鉄砲でも持ってこーいっ！

…
…
「うえぇ～～～えれえれえれ」
　半ばヤケになって飲み続けていたら、案の定吐き気を催してこの始末。あー、頭いてー。ぐらぐらするー。うえっ…

えれえれえれ～

　もう出すものも無くなって、それでも吐き気が止まらない腹を押さえて苦しんでいると…

さすさす…

　誰かが俺の背中をさすってくれていた。俺はそのまま胃液を絞り出すように何度か吐いたものの、介抱のお陰でだいぶ気分も良くなってきた。

「ん…悪ぃ…」
　俺はやっとのことで顔を上げた。
「もー、限度考えないで飲むからですよ～、大丈夫ですかっ？」
　すっかり脱力した、俺のだらしない顔が目の前にしたのは、心配そうな渡良瀬の顔だった。

…
…
「はい、真樹先輩」
「あぁ、ありがとな…」
　俺は暫く居酒屋の向かいの路肩に座り込んでいた。渡良瀬から受け取った烏龍茶で一口、大きくうがいをして、もう一口をごくりと飲み込む。
「落ち着きました？」
　きんきんに冷えた缶を額に当てて頭を冷やしている俺の隣に、渡良瀬が腰を掛けて尋ねた。
「……だいぶ…まだ頭痛ぇーけど」
「よかったぁ…」
　膝を抱えて覗き込む渡良瀬が、にぱっと笑った。だぶだぶのＴシャツの襟首から、黒いタンクトップと首筋が覗く。
「…じゃあ、そろそろ戻るか」
「…」
　俺はやり場に困る目線を腕時計に逸らして言った。すると渡良瀬は…
「…先輩っ」
「ん？」


「…抜け出しちゃいません？」
「あぁ？」


さて、俺は…
１．「そうだな、行っちゃおうか」
２．「おい、いいのかよ」


（１２－１）
「うーん」
　確かに、今戻ったところでまた前後不覚になるまで飲まされることは間違い無いし、奴等とも気の済むまでばか騒ぎしたからな。
「そうだな、行っちゃおうか」
　俺は立ち上がり、ジーンズの埃を叩いて言った。


（１２－２）
「おい、いいのかよ」
　中の奴等はもう思い思いに楽しんでるとはいえ、俺はともかく渡良瀬が戻るのを待ってる奴は結構居ると思うし…なにより、幹事が抜け出しちゃっていいのか？俺は、少し躊躇した。
「なに言ってんですか。大丈夫ですよ、ほらっ」
　渡良瀬はふらつく俺を無理矢理引っ張り上げた。…まあいいか。


（合流）
「でもさ、どこ行くんだよ」
　正直、渡良瀬と二人して行く場所など、俺には思い付く筈もなかった。
「えへへ……」
　俺が尋ねると、渡良瀬は少し恥ずかしそうに顔をにやつかせて、もじもじしながら口を開いた。


「学校…、行きません？」

「あぁ？」


　俺は一瞬、言葉を失った。第一酒の入った奴同士が行くところでも男と女が連れ立って行くところでもないし、それに、ここからは歩いて４～５０分は掛かる場所にあるんだ、俺達の母校は。
「おい渡良瀬、本気かそれ？」
「はい」
　呆れた俺が問いただしても、渡良瀬は涼しい顔で答えた。
「こっから歩いて行くんかよ？」
「……ほら、あれ」

　渡良瀬が腰まで届くポニーテールを振って向いた先に、少し錆付いた自転車がひとつ、立てかけてあった。

「……ははっ」
「……へへへっ」

　自信満々に笑顔を湛える渡良瀬を前にして、俺もなんだか、不思議に楽しくなってきた。

「よーし、じゃあ行くか！」


…
…
「あー、あっれ～？」
「なんだ～？」
「原田さーん、計ちゃんどこ行っちゃったんすかね～？」
「んなこといーだろ、飲めってほら」
「あの～、真樹さんもいないっすよ～？」
「いいから飲めっ」
…
…


ガシュッ　ガシュッ

　ろくに油も射していないで、踏み込むたびに悲鳴をあげるペダル。想像したよりずっと重い足取りに、額の汗が止まらない。

「おいっ、やっぱり歩いた方がよかったんじゃねーか？」
「今更何言ってるんですかー、がんばって漕いでくださいねっ」
　錆と埃を払った荷台に腰掛けた渡良瀬が耳の後ろではしゃぐ。背中から回した細い腕がぎゅっと俺を掴まえ、柔らかい感触を暑苦しい程に押し付けてくる。


ガタンッ！


　信号無視の交差点を渡って、歩道の縁石に乗り上げると、自転車は大きく揺れて衝撃が走った。
「いったーい！…先輩、もーちょっと優しく漕いで下さいよー」
「座ってるだけで文句ゆーんじゃねーよ。振り落とされたくなかったら、ちゃんと掴まってろよ、渡良瀬」
　大きく揺れるたび、バランスを失いかけるたび交わされる言葉と言葉、渡良瀬が口を開くと、頬を寄せる背中の辺りに、むずがゆい暖かさを覚えた。


　最後の交差点を渡りきり、右に大きくハンドルを切るとすぐ、俺達の母校の通用門が口を開けていた。
「そのまま、体育館までっ」
「俺はタクシーの運ちゃんかっ？」
　あとひと踏ん張り、俺はサドルから腰を上げて、ぐいとペダルを踏み込んだ。


　構内の西端に立つ、築２０年は下らない体育館。鍵の壊れた、開けっ放しの扉の奥に踏み入ると、手を伸ばした先も見えない位の闇が、広がっていた。
「あーっ、真っ暗ですねー」
「そりゃそーだろ」
　夜目に慣れるまでは、どうやら手探りで進むほかないようだった。俺達は土足のまま体育館に踏み入ると、かつてボールを追って駆けずり回っていたコートを目指した。
「いてっ」
「あーん、なにこれー」
　途中、バドミントンのネット引っかかったりボールを蹴飛ばしたりして難儀したけれど、アリーナ奥手のセンターサークル辺りに辿り着いて落ち着く頃には、ぼんやりと周りが見渡せる位になっていた。


「なんか、懐かしーもんだな」
「……そーですね…」
「……まだ２年も経ってねーのにな…」
「………」
　１年やそこらで変わるほどのものがここには無いこと、それは判っていても、ここがもう自分の居場所でないことを思うと、つい懐かしく思えてしまう。

「ん？どーした渡良瀬？」
　俺は、渡良瀬の返事にさっきまでの元気が無くなっていることに、ふと気付いた。俺が気になって振り向くと…


「真樹先輩…」


　薄明かりの帯を描いて射し込む月影。淡く照らされた渡良瀬が、真剣な面持ちで俺を見つめていた。青白く浮かび上がる肌。普段の活発な「可愛さ」ばかりが目に付く渡良瀬の中から、押し込めた「美しさ」が透けてくるように。


「渡良瀬…」


「先輩…知ってました？」
「……」
「ここ…来年には無くなっちゃうんです」


　渡良瀬の言葉に、一つの光景が思い起こされる。学校の門をくぐる時に見えた、新体育館。俺が卒業する直前、裏庭のサブグラウンド跡に着工したその新しい体育館が、今夜ここに来る時には殆ど出来上がっているのを、俺は横目で見ていた。

「だから…」
「……」
「今日は言おうって、決めてたんです」
「みんなみんな、思い出になって消えてっちゃう前に……」
「……」

　渡良瀬は、一歩、二歩、歩み寄って、躊躇いがちに口を開いた。


「真樹先輩が……

……ずっと……好きだったこと…」


　手を伸ばせば肩も抱き寄せられる距離から俺を見上げる渡良瀬の瞳は、真剣に真っ直ぐ俺を射抜き、そして川の水面のように、潤んでいた。


俺は…
１．「俺は……まだ……」
２．「…………」


（１３－１：惜しかったですね～）
「俺さ……」

　俺は渡良瀬には、何でも隠さずに答えてきた。

「俺まだ、お前をそーいう風に見ることって、できないみたいだ」

　それは、渡良瀬が……

「お前は俺にとって、一番大事な『仲間』だからさ…俺はまだ、このままがいい」

　俺は、この関係を……

「渡良瀬…お前はそれじゃ…嫌か？」

　俺は渡良瀬の真剣に、精一杯の誠意で返した。嘘偽りのない、正直な気持ちを。


「…」
「…」


　視線を合わせたまま、長い沈黙が流れる…そして…


「………はぁ～～～っ」


　重い静寂を破ったのは、渡良瀬の大きな溜め息だった。渡良瀬は体ごと深く項垂れて、再び顔を上げると、そこには見慣れた渡良瀬が戻っていた。
「あーん、今年こそイケると思ったのに～」
「……あぁ？」
「折角こんな舞台まで用意したのに、やっぱ駄目かぁ……」
　渡良瀬は天井を見上げて、独り言のように吐き捨てると、俺の目の前に飛び込んできた。
「でも、いつか『好きだ』って言わせてみせますからね、先輩」
　肌が触れる程の距離にどぎまぎする俺へそう言い放って、渡良瀬はきびすを返した。

「ほらっ、次行きますよ！運転手さん！」
「あー？まだどっか行くのか～？」

　俺はそのあと結局渡良瀬に引っ張り回され続け、家に戻った時にはもう午前１時を過ぎていた。姉さんはとっくに寝てしまっているらしく、家中が静まり返っていた。俺は姉さんを起こさないように、こっそりとベッドに潜り込んだ。

（→Ｅ３：ハズレエンド「ある夏の終り」へ）


（１３－２）
「…………」
　俺は、言葉を見つけることが出来なかった。渡良瀬の、俺に寄せる気持ちは薄々と知っていた。けれど……

「答えられ…ませんよね…」

　俺の声にならない想いを代弁したのは、渡良瀬の重い口だった。

「だって…真樹先輩の中には…」

　渡良瀬は、一番口にしたくないだろう言葉を自ら、吐きだそうとしていた。俺はそれを止めることもできず、ただ、見ているしかなかった。

「お姉さんが…いるんだもん……」

「…渡良瀬……」

　大きく鼻で息を吸って、堪えるように言葉を紡ぐ力を溜める渡良瀬。いつも笑い声が絶えない口元が、小刻みに震えていた。

「私……なんとかなるって想ってました……先輩のこと想って…ずっと追いかけてれば……」

「……」

「でも…昨日…先輩とお姉さんが、楽しそうに腕組んでるとこ見て……」

　渡良瀬は、昨夜の俺と姉さんを見ていた。俺が、姉さんが互いに笑って、祭囃子の中を歩いている姿を。

「声なんか…掛けられないよ…」

「……そんな……あれは……」

　弁解の仕様もないことは、解っていた。
あれはあれで、俺の真実の姿だから。「姉」としての域を出ないとしても、俺が姉さんを好きだってことは、誤魔化しようの無い事だから。

「でも……おかしいよ……」

「…」

　渡良瀬は眉をしかめて、身体の奥から絞り出すように言った。これまで淡々と話していた語気が、次第に荒くなって、やがて叫びにも似た声に変わる。

「だって、お姉さんじゃないっ！」

「……」

「血が繋がって無くったって…ちっちゃい頃から姉弟やってたんじゃないっ！」

「……」

「綺麗だよ、優しいよ、頭だっていいよ…私なんて、叶うところなんか全然ないよっ！」

「……」

　渡良瀬は、一瞬言葉を飲み込んで…


「でも……人魚じゃない！！」


　それを吐き捨てるように言った。
渡良瀬は大きく見開いた目に、溢れんばかりの涙をためて、ぎりぎりで堪えていた。けれど最後の言葉が飛び出た拍子でそれが零れ落ちそうになった途端、渡良瀬は俺に背を向けた。

「渡良瀬…」

　俺が渡良瀬の背後に歩み寄ろうとする刹那、

「先輩、こっちじゃないでしょ？」

「…」

「早く、行ってあげなきゃ」

「…」

「私、もう少し…ここにいますから」

　背を向けたまま、張りのある声で俺をはね退ける渡良瀬。


俺は……

１．姉さんの待つ家に帰る
２．計に問い掛ける


（１３－２－１Ａ：美潮エンド用。３日目に水着を購入している場合適用）
　俺はこれ以上、渡良瀬に近づけない。
こいつは、そういう奴だ。今ここで俺が躊躇したら、俺は渡良瀬を更に傷つけることになる。
　それに…俺は今、自分にとって誰が「いちばん大切なのか」気付いてしまったから。
　俺はゆっくりと、渡良瀬の背後から離れた。そして、渡良瀬の顔が闇に隠れる位の距離をとってから、振り向いて告げた。

「渡良瀬…」

「……」

「俺はお前のこと、ずっと大事な仲間だって、そう思ってるし、それはこれからも変わらない。」

「……」

「でもな…」

「……」

「俺の初恋の人は、人魚なんだ…」


　俺は渡良瀬をひとり体育館に残して、歩き出した。


「………バカ……」


（→Ｅ１：美潮シナリオ「海へ」へ）


（１３－２－１Ｂ、１３－２－２Ｂ
：１、２共通：ハズレエンド用。１選択時は３日目に水着を購入していない場合、２選択時は４日目に渡良瀬の泣顔を思い出していない場合に適用）
　俺はこれ以上、渡良瀬に近づけない。
こいつは、そういう奴だ。今ここで俺が躊躇したら、俺は渡良瀬を更に傷つけることになる。
　俺はゆっくりと、渡良瀬の背後から離れた。そして、渡良瀬の顔が闇に隠れる位の距離をとってから、振り向いて告げた。

「渡良瀬…」

「……」

「俺はお前のこと、ずっと大事な仲間だって、そう思ってるし、それはこれからも変わらない。」

「……」

「それじゃあ、駄目か？……」

　俺はそう言い残すと、渡良瀬をひとり体育館に残して、歩き出した。


「………先輩……」


（→Ｅ３：ハズレエンド「ある夏の終り」へ）


（１３－２－２Ａ：ここで計エンド確定）
　俺はこれ以上、渡良瀬に近づけない。
こいつは、そういう奴だ。今ここで俺が躊躇したら、俺は渡良瀬を更に傷つけることになる。でも……

『真樹先輩っ』

『ねえ先輩っ！』

『先輩、ひっどーいっ』

『あっ、先輩っ！』

『先輩っ』

　ゆっくりと背を向けると、渡良瀬が俺に向けた笑顔、拗ねた顔、ふざけ顔、驚いた顔…いつも明るさを失わない渡良瀬の数々が、浮かんでは消えた。

『……ぁ……先輩……』

　そして最後に、俺だけが知っている、涙に濡れた渡良瀬が、残った。

「……」

　俺は入口の扉に向けかけた足を止め、渡良瀬の背中に問い掛けた。

「渡良瀬」

「……」

「こっち向けよ」

「どうしたんですか？……早く行ってくださいよ…」

「また……一人で泣くんか？」

　張り詰めた渡良瀬の背中が、ぴくん、と揺れた。俺が歩み寄ると、その背は怯える小動物のように、震えていた。


……！


　俺は渡良瀬の胸元に腕を回し、ポニーテールごと抱きしめた。崩れ落ちたりしないように、腕をすり抜けてどこかへ行ってしまわないように、ぎゅっと。
　頬を寄せる髪にミントが薫る。しっとりと汗ばんだ肩から渡良瀬の鼓動が伝わる。そして、荒い吐息を受け止めていた腕に、ぽつりぽつりと、雫が落ちた。


「渡良瀬…泣顔見られたくないんだったら、ずっと、こうしてるからさ……」

「……」

　俺はこんなときになってやっと、一番大事なことに、気付いたのかも知れない。

「だから、もう俺の知らないとこで…一人で…泣かないでくれよ……」

「……せん…ぱい…」

　俺の中には、二人の女性が住んでいた。
「姉」の美潮姉さんと、「仲間」の渡良瀬。でも俺は、ずっとこの関係が続く事を望んでいた。

「お前が…笑いたいときも、泣きたいときも…俺は、お前の側にいたい」

「……せん……グスッ………」

　扉を開いたのは、渡良瀬だった。扉の先には、変わらず大切な「姉」として微笑む美潮姉さんと、笑顔の仮面に隠れてすすり泣く、渡良瀬がいた。

俺だけに見せた笑顔。

俺だけが拭える涙。

答えは、俺の腕の中にあった。


「……！」


　不意に込められた力に、俺の腕は振り解かれた。腕の中から放たれた渡良瀬は、とん、と一歩だけ俺から遠ざかり、振り向いた。
　ふわりと舞い上がったポニーテールの一筋一筋が流れ落ちる。そこにはくしゃくしゃの笑顔と、頬を伝う大粒の涙。光を振りまきながら零れる、真夜中の宝石。

「先輩……涙って、こんな時にも出るんですね……知らなかった……」

「渡良瀬……って……んんっ！」

　倒れ込むように俺の胸に飛び込んできた渡良瀬を受け止める。赤茶けた前髪が目の前をよぎったその直後、見下ろす俺の唇に、渡良瀬の小さな、柔らかい唇が重ねられた。


「……」


　俺は…爪先にありたっけの力を込めて立つ渡良瀬を、その全てを包み込むようにもう一度、抱きしめた。


…
…
　８月８日、午後２時４５分。

「そろそろかな、じゃあ俺行くから」

　発車表示にちらりと目をやって、少しだけ重くなったバッグを肩に掛け直す。東京行きの電車がホームに着くまで、あと１０分と残されていなかった。

「今度は、何時帰ってくる？」
「ん～、正月頃かなぁ……」

　わざわざ駅まで見送りに来てくれた姉さんの問いに、俺は漠然と答えた。
　真夏の昼下がり、人影も疎らな構内に、家族連れの笑い声が通り抜ける。ここに帰ってくるまでは、これでも俺には勿体無い位のシーン。でも…何か足りない…と思っていると。

「あっ、じゃっ、がんばってね、まーくん」
「ん？」
「ねーさんは、退散しますから」

　不意に、逃げるような格好で改札を後にした姉さんは、遠目でにっこり笑いながら、小さく手を振った。あっという間に小さくなる姉さんの白い背中。


「真樹先輩っ！」


　姉さんを追っていた目を戻すと、そこには渡良瀬の姿があった。


「先輩っ、もう帰っちゃうんですか？」
　渡良瀬と肩を並べてプラットホームに降り立つ。午後の陽射しに焼けたコンクリートから、一週間前帰ってきた時と全く同じ熱気が襲ってきた。
「ああ…まぁ、またすぐ戻って来るって」
「とか言っちゃって、また暫く帰ってこないつもりでしょーっ」
　昨夜の女性らしい、俺だけの知っている渡良瀬はすっかり影を潜め、真夏の太陽の様な渡良瀬が戻っていた。ただ、履き慣れたキュロットが、軽く膝を覆うスカートに姿を変えていた。

「でも…」

「？」
「泣きたくなったら電話しますから、すぐ帰ってきてくださいねっ」
「…なっ、ちょっと待てよ」
「昨日言ってくれましたよね。それともあれ、嘘だったんですか……？」
「あっ、あれはっ、そのっ」
　渡良瀬の笑顔が突然曇る。俺は焦ってその場を取り繕う言葉を捜す。
「えーっと、渡良瀬、あれはさっ」
「……」
「あーっ、でも出来るだけ沢山戻ってくるようにしたいと思うし…」
「……」
「一応、電話とかも出来ればさ…」
「……」
「……」


「へへへっ」

「？」

「冗談ですよっ」


　ぺろりと出した小さい舌と、発車を告げるアナウンス。
　見えなくなるのは、一瞬だった。
　閉じた扉の前に留まって、額をガラス窓に押し付けると、車輪がレールを叩く音の奥から、錆付いた自転車の軋みが、聞こえたような気がした。

たぶん、また帰る。
もうすこしだけ、ちかいうちに。
笑顔がかくれる、すこしだけ前に。


「My sister is Mermaid with MEGANE!
　　～Newt/Palm/Zau Heart 5th album」


　　Scenario no.2 "真夜中の体育館"


　　　　　　　　 Cast

　　渡良瀬　計（Kei Watarase）
　　水口　真樹（Masaki Minakuchi）

　　水口　美潮（Misio Minakuchi）
　　原田　創平（Souhei Harada）
　水口真＆澪（Makoto&Mio Minakuchi）
 部員の方々（Basketball club members）
　　　　　　　and others


　　　　　　　Theme song

　　　　　「涙のカギを開けて」

　　　　　　from 「Oh, Dear」
　　　　 copyright(c)大塚利恵
　　　　　　　　　　 Soytzer music


　　　　　　　 Produce

　　　1999:だって、好きなんだもん
　　　　　　　　 BAB

　　　　1999:BiTmap Publishing
　　　　　　　　sugich
　　　　　　　　coolly
　　　　　　　　yamacha
　　　　　　　　 ueno


（Ｅ３：ハズレエンド「ある夏の終り」）
…
…
　８月８日、午後２時４５分。

「そろそろかな、じゃあ俺行くから」

　発車表示にちらりと目をやって、少しだけ重くなったバッグを肩に掛け直す。東京行きの電車がホームに着くまで、あと１０分と残されていなかった。

「今度は、何時帰ってくる？」
「ん～、正月頃かなぁ……」

　わざわざ駅まで見送りに来てくれた姉さんの問いに、俺は漠然と答えた。
　真夏の昼下がり、人影も疎らな構内に、家族連れの笑い声が通り抜ける。昨日の大騒ぎとはうってかわって、故郷の夏の終幕には、穏やかなシーンが用意されていた。

「…間もなく、１４時５３分発…特急○△１２号が到着いたします……」

　財布から切符を取り出して、優しい笑みを湛えて見送る姉さんに軽く手を振りながら、改札へ向かう、そのとき。


「真樹先輩っ！」


　北口の通路から、平穏を切り裂くような大声と共に駆けてきたのは…声だけで充分判る、渡良瀬だった。

「黙って帰ろうったって、そうはいきませんよっ」

　帰りの便の時間を何処で知ったのか、追いついて息を弾ませる渡良瀬の目は、勝ち誇ったように輝いていた。
　じりじりと渡良瀬が身を寄せる。
背中に刺さる、冷ややかな視線。
振り向くとそこに姉さんの笑顔。遠目にもちょっと気になる、強張った笑顔。

「…間もなく…１４時５３分発…特急○△１２号が……」
　二度目のアナウンスが、構内に響く。

「じゃーねーっ、まーくんっ」
　背後からは、何時になくトーンの高い姉さんの呼び声。

「………負けませんからねっ」
　これ見よがしに耳元に寄せた渡良瀬の唇から、離れ際に漏れた言葉。

　俺は、改札を抜けて駆け出した。
故郷での、夏が終る。抜けるような青空と、入道雲をそのままに。
　今度帰る故郷は、また同じ顔で迎えてくれるのだろうか。

それとも……


「My sister is Mermaid with MEGANE!
　　～Newt/Palm/Zau Heart 5th album」


　　 Scenario no.3 "ある夏の終り"


　　　　　　　　 Cast

　　水口　真樹（Masaki Minakuchi）
　　水口　美潮（Misio Minakuchi）
 　　渡良瀬　計（Kei Watarase）

　　原田　創平（Souhei Harada）
　水口真＆澪（Makoto&Mio Minakuchi）
 部員の方々（Basketball club members）
　　　　　　　and others


　　　　　　　Theme song

　　　　　　「玉子ごはん」

　　　　　　from 「Oh, Dear」
　　　　 copyright(c)大塚利恵
　　　　　　　　　　 Soytzer music


　　　　　　　 Produce

　　　1999:だって、好きなんだもん
　　　　　　　　 BAB

　　　　1999:BiTmap Publishing
　　　　　　　　sugich
　　　　　　　　coolly
　　　　　　　　yamacha
　　　　　　　　 ueno


（Ｅ１：美潮エンド「海へ」）
…
…
　重い足とやりきれない気持ちを引きずるようにして、俺は母校を後にした。
　あの頃毎日自転車を走らせていた道。プラタナスの並木を抜けて、陸橋のてっぺんに差し掛かると、じっとりと汗に濡れたＴシャツに吹き付ける夜の風は、思いのほか冷たく、痛かった。


　漸く我が家の屋根が見え隠れした頃には、もう腕時計は１２時をとうに回ってしまっていた。ポケットに手を突っ込んで玄関の鍵を探る、と、ちらりと見遣った居間のカーテンの隙間からは、薄明かりが漏れていた。
　暗く静まり返った玄関に靴を脱ぎ捨てて、俺は居間のドアノブに手をかけた。少し油の切れた蝶番が高い軋みをあげてドアが開くと、そこには。


「……あ……まーくん…お帰りなさい…」


　居間のテーブルにもたれていた姉さんが振り向いて、部屋の明かり程に弱々しい声で、俺を迎えた。


…
　次の日の朝、といっても相変わらず起床の遅い俺のことだから、陽はてっぺん近くにあって部屋からは望めない。
　綺麗に洗濯された下着やＴシャツ、この帰省での数少ない所持品をバッグに詰め直しながら、俺は、出発の時間を待っていた。
　８畳間には布の擦れあう音、窓の外には車の地面を舐める音。物静かな部屋の片隅で、


『ねーさん、まだ起きてたの……？』
『…うん』
『…いつ帰ってくるか解らないんだから、寝ちゃっててよかったのに』
『……そうだよね…』
『……どうしたの？ねーさん』
『…ねえ、まーくん』
『ん？』
『…楽しかった？……ＯＢ会』
『……ぁ……うん…』
『……そう…よかった』
『……』


　昨日家に戻ったとき姉さんと２、３言葉を交わしたきり、それから姉さんとは殆ど口をきいていなかった。
　あの夜から、どうも調子がおかしい。姉さんは姉さんでよそよそしい態度が抜けていないし、俺は俺で変に意識してしまっていて、姉さんを直視することができずにいた。故郷での最後の日としては、あまりに重苦しい時間が、目覚しの秒刻みに流れていく。


かさっ


　そのとき。
無造作に敷き詰められた服やら靴下やらの奥に、小さな紙袋が乾いた音を立てた。僅かな心当たりを胸に引っ張り出すと、それは少々皺の寄った、空色の紙包みだった。

「………」


………
１．姉さんに、渡さなきゃ
２．……渡せねーよ


（１４－１：ここまできて申し訳ない、ハズレ）
　そうだ、姉さんにあげる水着、買ってたんだ。帰る前に渡さなきゃ…。
　俺は紙包みを握り締めて、足早に階段を降りた。

「……まーくん？」

　キッチンで洗い物をしていた姉さんが、廊下に大きく響く足音に気付いて、振り向いた。未だ曇った表情が晴れず、笑顔を繕う事もできない姉さんが、そこにいた。

「……これ…」

　全く俺に似合わないピンクのリボンが所々折れ曲がっているものの、すんでのところで贈り物の体裁を保っている包みを取り出す。手元のタオルで拭ったばかりの、ひんやりと湿った姉さんの掌の上へ、俺は、投げ捨てるようにそれを手渡した。

「開けてみて」

　包みの底の、セロファンテープを綺麗に、そっと剥がして開いた包みの中から、マリンブルーの水着が顔を覗かせた。

「…あっ…」

　姉さんの顔に、思いがけない喜びの色が注す。

「これって…」
「ねーさん、欲しかったんだろ、これ」
「だって…えぇっ…」
　艶々しい青を湛える布地を握ったまま、嬉しさと驚きが混ざり合った、複雑な声を漏らす姉さん。昨日からの湿った気持ちが、照れ隠しの笑顔の横で、融けてゆく。

「今度帰るときは、その水着持って、海でも行こうか…って、今度は冬か」
「来週あたり、また帰ってくれば？」
「ちょっとー、それ買ってお金ないんだからー、勘弁してよ」
「ふふっ…ありがとね、まーくん」

　海の切れ端をエプロンの胸に抱きしめて、笑顔を取り戻した姉さんが、くすくすと笑った。

（→Ｅ３：ハズレエンド「ある夏の終り」へ）


（１４－２：お疲れ様。True Endです）
　…今更渡せるかよ。
もう、帰っちまうっていうのに。
渡したところで、何言えばいいんだよ。
『渡良瀬とは、別に何にもなかった』とか言えってのかよ。
こんな水着渡したって、海行ける訳でもないのによ……


　俺は、空色の包みをバッグの中に放り込んで、ベッドに倒れ込んだ。
「……」
　レースのカーテン越しに照り返す夏の陽が、明かりのない壁を、天井を白く浮かびあげる。

『いいよ』

　何日か前に聞いた、姉さんの言葉がよぎった。
俺が困っているとき、どうしようか迷っているとき、俺を救ってくれた言葉と笑顔。いつも行き当たりばったりで、知らずに姉さんを困らせていた俺が、昔から、今でも頼っている、甘えの言葉。

『俺がずっと側にいてやるから』
『うん』

『俺が言葉いっぱい教えてあげるから』
『うん』

　守れなかった約束の逃げ道。

『水嫌い治すから、そしたら海行こうよ』
『うん』


…
…
…
『いいよ、また今度ね』


　『いいよ』の度に、自分を押し込めてた姉さん。
昨日の夜、姉さんは何を押し込めていたんだろう。
　首を横倒しにバッグを見遣ると、ジッパーの開いたままの口から、ピンクのリボンが手を伸ばしていた。



がばっ



たんたんたんたん……



「ねーさん、今日ちょっと時間ある？」



…
…
　エプロンを外しただけの、部屋着の姉さんを連れ出して、セルボが国道を行く。

「お買物？…お土産？」
「いや…そうじゃなくて…」

　曖昧な返事を繰り返しているうちに、一際大きな交差点に差し掛かる。駅前から伸びる中央通りは、右に曲がると商店街に続く、いつもの道だ。

「えっ？まーくん？」

　けれど俺達の乗ったセルボはスピードを落とすこともなく、交差点を真っ直ぐ、走り抜けた。



「海…行こうと思ってさ」



「えっ？…でも、まーくん…今日もうすぐ帰るんじゃ…えぇっ？！」
「いいからっ」
　事態を掴みきれないで慌てる姉さんをよそに、俺は片側一車線に狭まった国道…海岸へ続く道に進路を取り続けた。そして、二つ目の大きな陸橋をくぐり、海岸沿いの道に出る手前で、俺は後部座席に投げ込んだバッグから、あの、包みを取り出した。

「開けてみて」
　そう一言だけ言って姉さんに包みを渡す。俺は不慣れな道を探して、目を手前から離せないでいたけれど、耳にはかさり、かさりと紙包みの開かれる音が届いた。

「……ぇ……」

　程なく背の低い建物に挟まれた道が見開かれると、陽の光を吸い込んだ濃紺が、視界いっぱいに広がった。

「…どうして…まーくん……」

　時を同じくして、一瞬言葉を失ったかにみえた姉さんから、驚きとも喜びともつかない言葉が漏れた。ハンドルを大きく右に切って海岸伝いへ舵を取る。海の切れ目に散りばめられた原色の飛沫と、砂の道。

「欲しかったんだろ、それ」
「…だって…」
「ねーさんに、着て欲しいんだ、俺も」

　ここまでを口に出して、俺は今日はじめて、姉さんの顔を見る事ができた。姉さんと視線がかち合った瞬間、気恥ずかしさにすぐ目を逸らしてしまったけれど、姉さんの笑顔に掛かっていた霧は、潮風に吹かれて消えていた。姉さんの胸元には、俺の贈った海の切れ端が、ぎゅっと、抱きしめられていた。


…
…
ざざ～～ん

　右のてのひらに掴み上げた砂が、指の間から逃げては、落ちる。
　俺は乾ききってゆらゆらと熱気をあげる砂の上に腰を掛けて、目の前に広がる一面の青を眺めていた。
　大きく、小さく寄せる波も、俺の足元までは届かない。俺が静かに海を眺める事ができる、つまりぎりぎりの位置ってやつだ。
　そして、左の人差し指と中指に絡ませた、クロムメッキのフレームと、てのひらで夏の陽を捻じ曲げる、真円のレンズ。姉さんが肌身離さず、それこそ風呂の中ですら掛けている丸眼鏡をこうして手にするのは、一体何年ぶりだろう。

『ど、どうかな…？変じゃないかな…？』

　入道雲の白が吸い込まれてゆく水平線の近く、大きく身体を開いて跳ね上がる影がひとつ。
　俺達は、海水浴客の賑わう砂浜を抜けて遠く、所々岩肌の見え隠れする浜とも磯ともつかない海岸を選んだ。狭いセルボの助手席で着替えを済ませた姉さんがドアから恥ずかしそうに顔を覗かせた時、思わず言葉を飲み込んでしまった俺は、なぜか１０年前の胸の高鳴りを思い出した気がした。

『……いや…そんなことないと思うけど』

　控え目な胸を包み込んだ海色の水着も、海に、空に溶け込んで見えない程に遠く。
　この距離を埋めているのは、５歩にも満たない砂と岩、それと延々と続く海の青。

『それじゃあ、ちょっと行ってくるね』

　姉さんが頭を水面に浸して、ぱしん、と一蹴り打った次の瞬間、照れながら砂浜をよたよた跳ねていた女性は姿を消していた。
　艶々と濡れた黒髪に大小の光を纏って水面から現れた人魚は、もう俺の知っている女性ではなくて、幼少の頃父さんが語った、あのときの人魚そのものだった。


あのときの夢物語のひとつ
手を伸ばしても届かない美しさ


耳に届くのは、波の寄せる音だけ。
寄せて、退いて、
いつもどこかで、触れあっていて、
それでも、どこまでも交わることのない、



それが、俺と姉さんだってこと。



『先輩、こっちじゃないでしょ？』

波間から声が聞こえる。

『早く、行ってあげなきゃ』

　あいつが俺の背を押してくれたのは、俺があいつに背を向けたのは、こんなとこに、戻るためだったのかな？


「………」


　汗に湿った短パンと腿にこびりついた砂を叩いて、俺は歩き出した。

前へ。
前は海。
どこまでも海。
どこまでも前へ。

　竦む足に踝に脹脛に膝に、海が昇ってくる。俺が沈んでいく、腿に腰に。
それでも姉さんはちっとも近づかない。
焦っても足はちっとも進んでくれない。


……！



そのとき。
　片方の足が捉える場所を失ったと思った途端、俺は岩場に滑らせた足ごと海の中に引き摺り落とされた。
　突然訪れた、遠く思い出すことさえ出来ない恐怖。目を塞ぐ、口を噤む。

意識が、遠くなる。


俺は…


俺…


姉さ……


…
…
…
…
「……くん…」

「……まーくん…」

「……まーくん……まーくんっ！」

　気がついたら、俺は姉さんの呼び声の中にいた。
　頭だけぽっかりと海から出して、姉さんの胸の中にいた。俺は仰向けに浮いていて、力の入らない踵は海の底に触れて、揺れていた。

「どーしたのっ、急にいなくなっちゃうんだもん……」

　首を傾げると、眼鏡を掛けていない素顔の姉さんが、今にも泣き出しそうな顔をして、俺を心配そうに見つめていた。

「……ねーさん…」
「大丈夫？まーくん」

「…」
「…」
「…カッコ悪ぃ……」
「……え？」

　脱力した体で姉さんを見上げていて、ふと、そんな言葉が出た。
　俺は、胸元で上下に揺れる水面へ目を落とすと、返す言葉に迷っている姉さんに、ひとつひとつ、自分の心を確かめるように、話し掛けた。

「こんな風で言う事じゃないけどさ、俺、ねーさんに言いたい事、あったんだ」
「…うん？」
「本当はもっともっと前に言ってて良かった事なんだけど、言えなくて」
「…うん」

　姉さんは俺の口から止めどなく流れる言葉を、漏らすことなく、受けとめてくれていた。

「ねーさんが泳いでいって、どんどん小さくなって、なんかすげー、怖くなってさ」
「…うん」
「今言わなきゃって思ったら、こうなっちゃって…」
「…うん」



「俺……ねーさんが好きなんだ」

やっと、言えたひとこと。



「……」
「姉さんとか家族とかそーいうんじゃなくてさ、好きなんだ…ねーさんのこと」
「……」
「ねーさんが初めて俺ん家に来たときから、ずっと言いたくて言えなかったんだ」
「……」
「ごめんな、ねーさん……変な事言っちゃって…でもさ…」



「…ありがと、まーくん」



　姉さんの澄んだ声が、震えていた。
俺の背後からするりと離れた姉さんの顔と髪が、眩しく照らしていた太陽を隠す。ほんの少し、視線を上げると、優しく微笑んだ姉さんの潤みきった瞳から、涙が一粒、二粒、零れ落ちるのが見えた。



「大好きだよ…私も」



　頬に落ちた涙は、宝石にはならなかったけれど。



「あ……ねーさん…」
「…うん？」
「……眼鏡…ごめん、無くしちゃった」
　左手に握り締めていた姉さんの眼鏡は、手触りだけ残して、消えていた。
「…大丈夫…」
「え？」
「これだけ近かったら、良く見えるよ…」


　姉さんの唇が、そっと俺に触れる。
俺は姉さんに包まれながら、いつまでも、唇を重ねていた。
　姉さんの生まれた、海の上で。



『今度、姉さんの故郷に行こうよ』



　もうひとつ、言いたかった言葉を、
喉の奥に、ちょっとだけ仕舞い込んで。


「My sister is Mermaid with MEGANE!
　　～Newt/Palm/Zau Heart 5th album」


　　 　　Scenario no.1 "海へ"


　　　　　　　　 Cast

　　水口　美潮（Misio Minakuchi）
　　水口　真樹（Masaki Minakuchi）
 
　　渡良瀬　計（Kei Watarase）
　　原田　創平（Souhei Harada）
　水口真＆澪（Makoto&Mio Minakuchi）
 部員の方々（Basketball club members）
　　　　　　　and others


　　　　　　　Theme song

　　　　　　「玉子ごはん」

　　　　　　from 「Oh, Dear」
　　　　 copyright(c)大塚利恵
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　　　　　　　　 BAB

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